「よつばと!」という元気いっぱいの5歳児が主人公の、ほのぼのした日常がとても面白く描かれたマンガがある。拙僧も愛読しており、有害性が全くなく一話完結型で読みやすいので、我が娘(8歳)にも自由に読ませている。

 物語の中で主人公よつば一行はキャンプに出かけ、川でニジマスをつり上げ塩焼きして食べる回があった。彼らがとても美味しそうに自分で釣った魚を食べるので、読む度に思わずお腹が空いてくる。

 

 我が娘も強くよつばに影響され、

「私も魚を釣って食べたい!」

 強烈に訴えてくるので、よっしゃウチもキャンプ行こう! という我が家であった。日程が決まり、娘はその前週からずっとワクワクして、道中は楽しみで仕方ないといった様子で大はしゃぎだった。

 人工川に放たれたニジマスを、制限時間内に数家族が釣り上げるという遊び方で、私は一応家族分のニジマスは釣り上げたのだが、大変残念なことに、色々手伝ったのだが、娘は一匹も釣れなかった。

 普段から駄々をこねて親を困らすようなことはほとんどない、聞き分けの良い女の子なので、その時の激しい悔しがり様にはとても驚いた。食べる分は確保されているから安心しろと説明しても、

「自分で釣りたい!」

 というわけである。

 「もう一度! もう一度!」

 と、涙と鼻水まみれになりながら必死に駄々をこねて、男親としては目頭が熱くなるほど痛々しかった。

 予約制なので限りがあり、もう一度は不可能であることを、実は娘もちゃんと分かっている。それでもどうにもならないことを必死に懇願してくるほど楽しみにしていたのだ。

 暴れる娘を抱き上げて、アイスクリームを与え、

「お父ちゃんが今から係のおっちゃんにお願いしてくるから待ってなさい。よその家族の人にもウチも混ぜてもらえないかって、お願いしてくる」

 そう言ってやるとわんわん泣いて、そして静かに、

「もういいです」

 とポツリと言うのであった。

 

 私はカウンセラーの資格も持っており、その仕事やボランティアもしてきた。

 来談者を傾聴し、共感し、映し返す、ということがカウンセリングの基本である。悲壮な闘いに疲れ苦悩する人々の叫びを傾聴し、涙を堪えることは多々あった。しかし、自分の娘だからなのではあるが、これほど深く胸が痛くなったことはしばらくなかった。

 仏(目覚めた人)とは智悲円満の行人といい、冷静に執われることなく見聞きして、我が事のように共感し慈しむ人である。

 拙僧は仏ではないので、立場と都合に執われて偏り曇った目で見聞きして、他人事のように共感するポーズをしてきただけだったようだ。

 

 「〝つ〟が付くうちは仏の子」ということわざがある。娘はまだ八つなので仏の子なのだ。大事なことを教えてくれる。

 私は我が子のことは何でも分かったつもりになっていたことも恥ずかしい。

 それでも心を共にしようとすることはとても大切である。

 このことが本当に、人生を豊かにする。〝聞く〟ということは、分かったつもりでいるわたくしを驚かせ、気づきを与えてくれる。そこに新たに道が開かれる喜びがあり、仏教は聞法をとても大切にしてきた。

 人生は苦難の連続である。乗り越える努力も要れば、負けることも多々あろう。せめて負うた子には、形だけでも、思いを共にすることぐらいはできればいいなとは思う。