如来所以興出世 唯説弥陀本願海
釈迦如来はじめ諸仏がこの世に出現された目的は
ただひとえに、海のように果てしなく深く広い、
阿弥陀の本願を説くためでした。
五濁悪時群生海 応信如来如実言
人も世も、自我に執らわれていのちが見えず、
破滅に向かって溺れている多くの人びとは、
まさに、釈迦如来の真実の言葉(南無阿弥陀仏)を信受すべきであります。
仏説観無量寿経
阿闍世という名の王子が、悪友の提婆達多にそそのかされて、父の頻婆娑羅王を幽閉し餓死させる。王妃韋提希も殺害は免れるものの幽閉され、そして釈迦に救いを求める。
釈尊は、韋提希のために、極楽世界や阿弥陀仏、観音・勢至の二菩薩を観想する十三観法を説く。
しかし、そのような厳しい修行は幽閉の身にてとてもできないと述べる韋提希のために、釈尊は極楽世界に往生する者を「上品上生」から「下品下生」まで九品に分類し、最後に「ただ念仏すべし」と阿弥陀如来に全て任せよと説く。
九品
上品上生者
仏法を聞き、その教えを記憶して決して失念しない者。
上品中生者
無量寿の真理を実感し、肉体を超えて無量寿の真実をありのままにさとった人。
上品下生者
衆生を救わんとする諸仏の教えと導きを聞き、持続した歓喜のなかにいる者。
中品上生者
戒律を守り罪を犯さずない者。
中品中生
四十九日間だけ戒律を守り、それによって心を乱さない者。
中品下生
親孝行を尽し、人々に思いやりの心を持っており、臨終までに善知識から四十八願について学び歓喜した者。
下品上生
悪事を日常的に犯し、多くの悪い行いをしても少しも恥じることがない者。
臨終までに善知識から多くの経典について学び、合掌して南無阿弥陀仏と称えた功徳によって五十億劫の罪が除かれ、その光を見て歓喜することを得る。
下品中生
戒律を守らず、寺院や僧侶から盗みを働き、私利私欲しか頭になくてもそれを恥じることがなく、悪行を重ねてそれを誇ってさえいる者。
地獄の苦悩に落ちた先で、善知識から慰めを受け、仏法と仏を念じることを教わり、信心を定めたならば、業苦が転じて良縁となり、諸仏より迎えられて極楽世界に生れる。
下品下生
もっとも重い五逆や十悪の罪を犯し、その他さまざまな悪行をしている者。
このような愚者は、悪行の報いとして長い間地獄を彷徨い、重い苦悩の連鎖に囚われ続ける。そこで善知識から慰めを受け、仏法と仏を念じることを教わる。
しかし苦悩が深いため仏を念じることができない。そこで善知識はさらに「もし心に仏を念じることができないのなら、ただ口に無量寿仏のみ名を称えなさい」と称名念仏を勧める。
こうして南無阿弥陀仏と十回口に称えると、仏の名を称えた功徳によって、八十億劫の罪が除かれ、臨終時に諸仏より迎えられて極楽世界に生れる。
法然上人
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」
親鸞聖人
「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」
「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」
一遍上人
「釈迦一代説法尽果南無阿弥陀仏」
「弥陀の大悲心は行者の、信、不信を選ばれず」
全ては南無阿弥陀仏に成就する