天親菩薩論註解

報土因果顕誓願

天親菩薩の論、註解して、 報土の因果、誓願に顕わす。

てんじんぼさつ の ろん、 ちゅうげして、 ほうどのいんが、せいがんにあらわす。

現代語訳

天親菩薩の『浄土論』をくわしく説いて、

真実報土に生まれる因も果も、

すべて阿弥陀如来の誓願にもとづくと

明らかにされました。


語句の意味

天親菩薩 …………

【天親(世親)菩薩について】


論、註解 …………


正信偈大意(蓮如上人)

「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願」というは、かの鸞師、天親菩薩の『浄土論』に『註解』というふみをつくりて、くわしく極楽の因果一々の誓願をあらわしたまえり。

真宗聖典:P755

尊号真像銘文(親鸞聖人)

斉朝の曇鸞和尚の真像の銘文
 「釈曇鸞法師者并州汶水県人也 魏末高斉之初猶在 神智高遠 三国知聞 洞暁衆経 独出人外 粱国天子蕭王 恒向北礼鸞菩薩 註解往生論 裁成両巻 事出釈迦才三巻浄土論也」
 「釈の曇鸞法師は并州の汶水県の人なり。」并州はくにのななり、汶水県はところのななり。「魏末高斉之初猶在」というは、魏末というは、震旦の世のななり。末は、すえというなり。魏の世のすえとなり。高斉之初は、斉という世のはじめというなり。猶在は、魏と斉との世になおいましきというなり。「神智高遠」というは、和尚の智慧すぐれていましけりとなり。「三国知聞」というは、三国は魏と斉と粱とこのみつの世におわせしとなり。知聞というは、みつの世にしられきこえたまいきとなり。「洞暁衆経」というは、あきらかによろずの経典をさとりたまうとなり。「独出人外」というは、よろずの人にすぐれたりとなり。「粱国の天子」というは、粱の世の王というなり。蕭王のななり。「恒向北礼」というは、粱の王つねに曇鸞の北のかたにましましけるを、菩薩と礼したてまつりたまいけるなり。「註解往生論」というは、この『浄土論』をくわしう釈したまうを、『註論』ともうす論をつくりたまえるなり。「裁成両巻」というは、『註論』は二巻になしたまうなり。「釈迦才の三巻の浄土論」というは、釈迦才ともうすは、釈というは、釈尊の御弟子とあらわすことばなり。迦才は、浄土宗の祖師なり。知者にておわせし人なり。かの聖人の三巻の『浄土論』をつくりたまえるに、この曇鸞の御ことはあらわせりとなり。

真宗聖典:P520

議論したい点 2022/03/04 於八起会

 浄土論註を読んだことがないので、【山寺】より引用して、閲覧しやすいように整理しながら目を通したが、思いのほか時間がかかり、しかも上巻だけしかできなかったOTL

 上巻を浅く読んだ感想は、【抑止の文】の理解が親鸞独特であるということの再確認。論註では謗法罪の人は往生できないと記されているが、親鸞は「論註の【抑止の文】理解」もまた曇鸞による抑止であるという立場を取っている。

 

 菩提流支によって世親の浄土論が訳されたのがおよそ???~527年の生涯の中でのこと。

 次に曇鸞が菩提流支に直接講釈を受けながら観経と浄土論を読んだ機会を考えると、472~542年の生涯の中でのこと。

 武帝から尊敬されるほど仏教学・四論宗の中で大成し、さらに大集経翻訳中に病気になって、仙経を求めたりなどを経た時点で、曇鸞はだいぶ年を取っていると考えられる。

 次に龍樹などの大乗仏教中心だった当時の中国に、インド最先端の無着・世親などの唯識を紹介していたのが菩提流支。527年に没しているので、よって浄土論が中国に訳されてほぼ間もなく曇鸞が論註を執筆したことになる。

 涅槃経中心だった曇鸞が観経と浄土論に衝撃を受けたことは否めない。それが執筆の動機になったのだろうか。それとも中国仏教が浄土論を理解するために必然だったのだろうか。

 さらに、曇鸞は論註のなかで「菩提流支(ら)はこのように訳したが、私が翻訳に参加していたならこのように訳さない。もっと適切な言葉を使う」などとディスり気味の箇所が度々あり、とても驚いた。私は菩提流支と曇鸞を師弟関係のようなイメージをしていたので、教学研究所の藤原氏に問い合わせると、浄土宗研究者によると「宗派(学閥)も違い、師弟関係また親密な関係のようなものではなかった」ようだ。もしかしたら、翻訳に参加したかったのかもしれないなどと想像すると面白い。

 人は、自らが起こす煩悩によって、自らを悩ませ、苦しめています。しかも、悩み苦しみの原因が、自らが起こす煩悩にあることすらわかっていないのです。さらにまた、自分が現にそれほどにまで悩み苦しむ状態にあることにも気づいていないのです。目先の快楽に眼を奪われているからです。

テキストP137末

 人間の「知恵」について意見

 恵みを知る、と書いて知恵である。秦以前の古代中国では自然の恩恵を知らされて報謝する心の意味合いが本義であったようだが、当時すでにその心は失われ、秦の時代では知性、知識を指すようになっている。【煩悩】によって文字「知恵」から自然報謝の心が失われてしまったと言える。

 「恩」もまた「めぐみ」と読む。祖先より受け継がれ与えられてきた数多の財産、自然より頂戴する資源、いずれも頂き物である。ただ今生きている私が独占するべきものではない。

 御蔭様で生かされている、この身は御蔭様で満たされており、これからも御蔭様であるがままに生きられる。本来の知恵は御蔭様を知って慶喜する心なのだ。

 古田先生の言う目先の快楽とは、恵みに対して感謝することもなく、私利的に独占しようとする麻薬であり、我々はその奴隷と言えよう。

 人類に欲望への隷属から脱却できる時はくるのだろうか。そもそもその必要性を感じないし、感じさせないようになっている。

 待っている未来は、快楽をやがて享受できなくなる事実である。資源枯渇や温暖化が先か、老化が先か。感謝を忘れた人類の未来には閉塞感を感じて息が詰まる。

 

 法事や法要は、報恩の精神が中心軸にある儀礼である。祖先への感謝、他力への感謝の気持ちを布教する仕事をしていると私としてへはそのことを改めて認識したいし、それが私の生計になれば有難いと思った。有難いことに、寺はそれが可能である。そもそも寺はそのための施設で祖先からの宝物だった。

 

 議論したいのは、

 ○ 自分の御蔭様精神はどれほどだろうかという問題。

 ○ 御蔭様精神を深めて、教化活動につなげるための工夫。

 ○ 先日あったとおり、「ただ念仏」精神の儀礼化が儀式声明なのだろう

 私たちが浄土に往生することになる原因も、また往生するという結果も、すべて阿弥陀仏の誓願によることなのです。

テキストP140

 このことを、先ずわたくしが信じていない。信じたいと思いながら信じられないという、【不信】の業苦にいる。

 しかしながら、法話するときは堂々と他力によって往生する話をしている。その時はその気になっていたりする。トランスしているのか、自己を自分で肯定している恍惚な瞬間でもあり、かっぱえびせんでもある。

 しかし日常に帰ればすぐに【失念】して迷いの中にいて、食うために罪を犯し続けているような感覚にいる。どうやらこれが今のわたくしの業のようだ。この業は、万人にあるのだろうか。

 そして、うらやましいことに、家族を亡くした人たちが、特に仏教をよく知らなくても純粋に、亡き人は浄土に往生した/自分もやがて往生すると拝んでいる姿をよく見かける。家族の死はそれだけ強烈な布教力を持っていると言える。仏教を伝える最大の好機でもあり、反対に過った方向へ行かせてしまう危険性もある。よってやはり通夜法事ではしっかり儀礼を勤めて、そして法話を大切にするべきだ。