「盛者必衰」

「盛んなる者は必ず衰える」ということ。

衰えを楽しく過ごす良薬は、仏法を聞いておくことです

 月参りにて、ある当院門徒の70後半の女性からこんな話を聞いた。

 

──『息子と娘からね、スマホを薦められるんだけと、億劫でね。私は今のガラケーで十分なんだけどねぇ。「とても便利だよ、コロナで会えない時も、ビデオ通話ができるんだよ」というんだけど、私には新しい技術に対応していく力がもう少ないのよ。だから「気持ちはすごく嬉しいよ」と言ったの。そしたら娘が怒るの。もっと適応力を高めないとアカンとかかんたら。

 私だってね、できるものならばバリバリ対応していきたいわ。でも身がついてこないのよ。毎日それを使えば違うだろうけど、生活習慣に入れられないのよね。使う頻度が低いとよけいにすぐ忘れて、身につかない。もう新しく覚えるという努力が虚しくなってきているの。そのことを分かって欲しいけれど、分かってもらえない。2人ともまだまだ若いから、できるようにならないと損だって考えてるみたい』

 

 若い時とは違って我が身の覚えが悪い現実を、どうしようもないことだと嫗はホホホと笑いながら語ってくれたのである。

 

『虚しい努力をして衰えた自分を嘆くよりも、好きなことに時間を使って楽しく生きたいじゃない。老人の時間はあっという間に過ぎるのよ。私には生涯楽しめるものがまだまだある。こうやってあなたに来てもらってお茶飲みながらおしゃべりしたり、仏法を聞いたりすることもその一つ。

 そもそも、たった今、現状で十分足りていると思えないと、損している気分になって辛いでしょ』

 

 その時の拙僧はうんうんと傾聴するだけだったが、後から考えれば考えるほど大乗菩薩道に通じるほどの凄いことを語っておられたのだ。(知足常楽)

 対応できる方がメリットが多く、できない現実はデメリットが多いと、そんな気分になるのは老若関係ないのである。

 人間は生まれてから教育を受けながら成長する。

 何でもできるようになれ、賢くなれ、強くなれ、増えるように、発展するようになどと、優生的に大きくなっていくことを中心に教えられる。

 しかし老を起点に、肉体も能力も築き上げた財産も衰えていく。若い時はできたのに、年を取ってできなくなっていくのだ。これを「盛者必衰」という。

 適応できないことを劣っていることと考えるのは優生主義だ。つまり煩悩主義。この考え方だけに執われた人生では、待っているのは苦痛の時間だ。余生が、得てきたモノを失い続けるだけの時間になってしまうのだ。衰えを楽しく過ごせず、辛い時間を長く過ごすことになる。

 

 の女性も含めて多くの先輩から、老いて間に合わなくなっていくことを、辛く受け止めないでホホホと笑える心境を教えてもらった。

 

 人は衰えを生きる哲学を若い時から先人から学んで備えておくべきだ。

 仏法というのはその宝庫である、ぜひ聞いて欲しいし、仏事を大切にして欲しい。

 一昔前ならば、目の前で衰えていく祖父母がいた。だからいつのまにかその感性が身に備わっていたのだが、今は核家族が進んでお爺さんお婆さんと共に暮らしていない時代である。意識して先人から学んでおかないと、衰えを強く感じるようになったときに待っているのは苦悩である。

 高齢者の話を聞くこと、親と同居すること、世話を焼く、介護することは、とてもいい勉強なのだ。老いや病はコントロールできない。しようとすれば無理がきて、ただ苦悩を延長するだけのことになる。

 現代は生産性と効率性を中心にして生活している者が多く、苦悩しやすい時代である。優生的な思考は煩悩そのものなのである。そんな中で、仏法がわたくしに届けられたことは、感謝する他ない。合掌。 2020/12/25釋大信