二枚舌。八方美人なことであったり、他人を仲違いさせるこようなことを言う煩悩。
先日ある門徒から次のような話を聞いた。
「自分はとある大きなお寺の門徒である。ある時、そのお寺で使ってもらおうと思い立ち、ある備品を寄進した。品物には寄進名を入れたのだが、譲渡する時に、住職が『寄進ナニガシとはエラソウだ』と言うのでとても驚いた。
その時、側にいたお弟子さんも『そうですね、もう少し控えめな文字の方が良かったかもしれませんね』と住職に合わせて言うので、大きく寄進名を入れた自分が悪かったのかと思った。
しかし、その住職がいなくなった途端に先のお弟子さんは態度を急変して『住職が大変な失言をして、誠に申し訳ありません』と陳謝された。お立場はお察しするが、できれば住職に面と向かって言える立派なお坊さんになってほしいと思ったが、よく考えれば自分も同じだった。
私もよく失言もすれば二枚舌も使っている。そもそも名を残したいという功名心も隠れてあった。そういうお恥ずかしい自分に気づかされた。その時はとても腹立たしかったが、今となってはただ面白いご指摘だったと思って、寺に参れば寄進した備品を眺めている」
【両舌】という、舌や態度を使い分け嘘をつく根性の根底にあるのは我執である。このご門徒が素晴らしいのは、我身にも同じ業があると知らせるご縁であったとストンと落ちているところである。
仏法を聞く身であるからこそ、都合悪きことが転じて導きになり、告発することなく面白いと言ってお慈悲に成り変わっておられるのである。
※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。