疑蓋

真実をおおいかくす疑いの蓋(ふた)。仏教の真理に対して心がためらい決定しないこと。

 拙僧は、法話をしている時は、堂々と「浄土に往生する話」をする。

 その時はそう思っているのであるが、普段の生活に戻り、特に一人になると「疑」の煩悩が吹き出して苦悩している。こんな疑情の我が身が法を説いていいのだろうか。いいはずがない。ではなぜ、仏事を執行し法話をして、寺を運営しているのかというと、名聞、利養、勝他の心があるからだ。恥ずかしい生きざまを上手に隠して、堂々と人前で法話している。そして、亡き人々がこんな私にもかかわらず、見捨てず呼びかけ引導してくれている。だから、浅はかな身でありながら法事をさせていたけている。なんと有難いことだろう。

 

 「疑」に苦しい時は、一人でいてはいけないと確信している。信を共に問う、仲間が必要だ。わたくしには本当に有難いことに、共に信仰を告白し互いに指摘し認め合う大切な仲間がたくさんいる。だからこんな私でも僧をさせていただける。

 

 先日、コロナ禍の中で、尊い同行が一人浄還した。50代。その男性の命日は私にとってもとても重い。

 亡くなる三年前から当院の定例法話に来てくれていた方だった。癌で余命少なく、母親から恩楽寺のチラシをみせられた縁で通うようになった。

 通い始めて随分初期に、往相回向、還相回向の話をした時に、このように申された。

 

「なるほど、お浄土に参らせてもらえるので、もう死ぬの怖くありません。……癌が見つかってもしばらく仕事するくらい、仕事はすきでした、だからお浄土から、家族や友のためにまたお仕事させていただけるのは有難いです。しかも、先に逝った方と一緒に働けるのは嬉しいし、今度は失業の心配もないのですね。でも、まだ死にたくない。娘が中学生で息子は小学生です。妻もいつもニコニコしてる、辛いはなのに」

 

 その方の話を聞いていた、一緒に座談しているお同行は拙僧を含めて、全員が涙していた。

 

 男性は聞法や宗教書の読書を重ねて、亡くなる一年前に、こんな問いを拙僧にぶつけてこられた。

 

「もうすぐ死ぬと分かっているのに、こんな身体になっても、まだ、決定的に、阿弥陀如来様にお任せできません。どうしたらいいですか?」

 

 究極の問いに対して、疑蓋の私が答えられるはずがなかった。

 

「だからです。煩悩があるからです。仏さまの願いが本当に澄み切って受け取りきることができないという、煩悩があるから、阿弥陀如来さまは私たちを見捨てないんです。こんな僕らだからなんです。だから南無阿弥陀仏をとなえましょう」

 などと念仏をすすめる教科書通りに答えた。

  「どうしたらいいですか?」に対して答えになった実感は何もなかった。カウンセラーにあるまじき態度で対応してしまったのだ。感情を受容し、感情を映し返すべきところを、拙は理屈で応えてしまったのだ。なんと情けない。今なら、伝えたいことがたくさんある。その様にあるがままにしぶとく生きておられるお姿そのものが、阿弥陀のいのちに帰った姿であること。如来にお任せしきった姿であったことを確信もってお伝えするのに、申し訳ないことに、逆に私に教えて浄還された。。

 

 お同行はすでにご自身で結論を出していた。

「お父さん、今仏教勉強してるねん」と、定例法話に子どもたちを連れてくるようになった。仏法は子どもには難しいだろう、と勝手に思い込んでいたが間違いだった。二人の子どもはいつも父を挟んで引っ付いて座り、子どもたちはノートをとり、真剣に「父が生まれる世界」について学び、父と過ごす時間をとても大切にしていた。「疑」に苦しい時は一人でいてはいけないのだ。仲間や寄り添う者が必要なのだ。

「父の残り時間が少ないので、できるだけ一緒にいてやろうと思う。どんなワガママでも聞いてやろうと思う。まさかお寺に一緒に行こうと言われるとは思ってなかったけれど」

 と、弟君は「イヤだったけれど、来て良かった」と言ってくれて、拙僧は随分仲良くなれた。

「父が僕らに何を渡そうとしているのが、何となく分かった」

 

 2019年末から法座には参加できなくなり、コロナウイルスによる非常事態宣言下2020年5月中旬に浄還された。

 枕勤めの時、高校生になったお嬢さんが往生の様子を詳しく話してくれた。

 父は2020年1月から入院し、2月からは退院して自宅で看取る予定だったが、感染が拡大し在宅医療の手配ができなくなってしまった。コロナのせいで、医療の現場は大変混乱し、病院は入院患者との面会を禁止・制限するしかなかったのだ。

「父のLINEの返信は段々短くなっていき、ついに既読になるだけになってしまい、臨終直前まで面会できず、会えない期間は家族全員にとって、とても辛い時間でした」

 なんという災禍なのだろうか。

 お嬢さんは病院、特にある看護士に感謝していた。亡くなる一週間前に、コロナの混乱の中、我慢できずに弟と二人で無断で面会に病院へ行ったところ、受けつけの係さんと、担当の看護士さんが面会させてくれた、というのだ。「お父さんに会えなくて、ごめんね」。病室には入らないでね、といわれていたので、廊下から父を呼んだ。父のかすかな声と、手が動いているのが見えた。

 それが最後となり、危篤の報せを受けて駆け付けた時は、心肺はほぼ停止しており意識はなく、会話はできなかった。

 最後の時に「側にいてやれなかった」と放心した様子で話してくれた弟君は、葬儀の時に嗚咽するでもなく静かに合掌し、大きい声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」と念仏してくれた。火葬する時の彼の父を呼ぶ悲鳴に拙は堪えきれなかった。

 災害やパンデミックは弱者に厳しい。雇用的にも、職業的にも、体調的にも。世相の問題は小さき者に偏って表出するようになっている。家庭の問題は子どもに、会社の問題は雇用的弱者に。今まさに臨終を迎えるという究極の弱者にとって、最後の財産である家族との面会が制限・禁止されるのは酷すぎる。感染が拡大すると、また小さき者が泣く事態になるのだろう。拡大させてはならぬという意識を皆が一丸になって持つべきだ。ウイルスに対して無神経な人にはどうか、何卒考えて欲しい。これ以上広げてしまわないように、何卒。

 

 その50代の父親は、最後には、阿弥陀如来の本願を依処として往けたのだろうか。怖がったり、淋しがったりしていなかっただろうか。拙僧は十分にその役割を果たせていたのだろうか。亡くなってから、そのように後悔と疑情の身が堪え辛かったが、有難い事に私は健康で家族と仲間が心配してくれた。 

 

 私は宗教者で、南無阿弥陀仏を軸にして、いのちの真理を探求し、救いを求めて道を歩んでいるが、未だ、私自身が宗教で救われていない。同じ苦悩を告白する僧侶は多く、拙僧は勇気づけられている。一人ではとてもこの道をまともに少しも進めない愚かなこの疑蓋の身が、食うために法話するのである。

 なぜ、愚かな身が法話できるのかというと、先に浄土に還られた、数え切れないほど多くのお同行の引導があるから、法事を勤め法話させていただける。彼らが私にとって善知識だったのである。

 あの人が「浄土からお仕事」されていると思うと、この愚かな身が堪えて頭が下がり恥ずかしいと思う。だがそのお蔭で決意を新たにまた進める。

 疑蓋に迷い続ける私を、途切れなく導く光。「御院さん、どうしたらいいか、わかりましたか?」と命日の度に届く。特別な人だけから届くのではなくて、これまで葬儀した、全ての同行から届いているように感じている。こんな私を見捨てない光を、南無阿弥陀仏と申すのである。この身念仏布教に使い切ろう。 

※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。