欲望を追い続け、
満足することがなく、
損得に病的に執着していることに無自覚であること。
以下に貪欲の随煩悩を詳しく解説。
※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。
「犭」に「貪」とかいて、〈トン〉という怪物が中国にいて、はじめは蚊のような叩けばすぐ死ぬくらいの小さなモノだったが、自分の体積の倍ある葉を食い尽くし満たされず、次に木を食べ尽くし満たされず、効率よく貪るために身体を大きくしていき、森、山、湖と身体を膨張させながらひたすら貪る怪物であった。
垂れ流す糞尿は毒で、川と海を汚して生き物の住処を奪う。吐き出す息は紫色で次々と鳥が死んで落ちた。
生き物みんなが迷惑極まった時に、八仙がトンに八正道を説いた。
トンは〈神獣〉麒麟に転じて、平等に人々のために働くようになった、という伝説がある。
このお話は、拙僧が学生の時ナントカという台湾のお寺だったかに行った時に教えてもらったのでうろ覚えで申し訳ない。トンは蒼天航路というマンガにも出てくるので、そっちの方が印象大きい。
語ってくれたガイドさんは最後にこんな感じのことを言った。
「──人間1人1人にトンがいます。そのトンが集まって大きなトンが生まれ、どんどん膨れ上がってが暴れています。人類が生み出したトンは、平等に働く神獣になってますか? 貪るだけの怪物のままですか? 欲のカタマリである人の知恵でこの怪物を乗りこなすことは可能なのでしょうか。人は怪物の傀儡のままで本当に幸せになれるのでしょうか」
欲の身を生きる人間には宗教が必要である。
宗教は自己の内面に課題を見て、それを問題にする。
我ら人は基本的に「効率よく貪る」ことが正しいと考えて生きている。早く、効率よく、合理的に、最小の投資で最大の利を求め、損をキライ、得を希求して生きている。
しかし、その効率の度が過ぎると破滅するようになっている。人類は何度もそれを経験してきた。それにもかかわらず、目の前に待っているのは破滅だったとしても、「それでも自分のやり方は正しい!」と言う人が暴走している。
自己を正当化して無自覚でいることや、正しいと思い込んでいる誤った価値基準を照らし出し、それを課題にして、自らの生き方を問うて生きるのが宗教である。古来よりある宗教は表現は違えどもだいたいみなそういう教えである。外よりも自分を問題にする教えが中心核にあり、「真の共存」がテーマにあるのだ。
そしてそこにホンモノの救いがある。
その救いとは「都合悪いモノが都合良く思い通りになった」というような目先だけの陳腐なものではなく、究極の満足である。「自体満足」という。自体満足の最も大きな障害となる煩悩が【貪欲】である。
トンを神獣にするためには、1人1人がブレーキをふむ時間を大切にしないと実現しないであろう。あとは政治問題だ。そんな風に私たちの問題の根本に迫ったこと言う政治家は日本にはいない。スーチーさんとムヒカ大統領くらいか。
2021/07/19釈大信