月参り、逮夜参り、参勤

月命日のお参り、当方の地域では「逮夜参り」といいます。なぜなんだろう。別院では「参勤」といってまして、血と肉に染みこんでますので、ついつい「参勤」と言ってしまって身内を混乱させてしまう時があります。

地域によって、違うデスよね~。

 

この度のコロナで、月参りの重要性を再認識しました。

とある独居高齢者の足腰の悪いおじいさんの家へ、月参りに行くと「あんたが来るの待ってた。19日間だれともしゃべってない」と、毎日の鬱々とした日常や政府への不満、遠方親族たちへの不満と、独りでいる寂しさを聞かせていただきました。

 

また別な高齢の方は、寂し過ぎて、私が来たら以前から話題にしていた将棋をやろうと、待ちかねていました。拙僧、六枚落ちで、あっという間に角を取られて惨敗で、「相手にならん、出直してこいw」と本当に嬉しそうでした。この方も、「囲碁将棋の会や唄いの会にも行けず、だれともしゃべってない」そうです。「またうったってや」と言われたので、過大な宿題をいただきました。

 

もともと、孤独になりがちな高齢の方には、このコロナ禍は過酷です。

ようするに災害と同じで、弱者に厳しい形になっている。

 

先日、高齢者施設に入っておられたお婆さんのお葬式をしました。コロナの配慮で縮小して、喪主一人だけのお葬式。喪主の息子さん曰く、「コロナの関係で、施設は面会禁止になっていたのでずっと面会できなかった。亡くなる一週間前に電話で少し話したのが最後。その時は元気そうだったが、その後もともと悪かった病気の容態が急変し、駆け付けた時には亡くなっていた。臨終に立ち会えず、なんとも寂しい逝き方で、悔しい。そばにいてやりたかった」

 

満中陰になるか一周忌になるかわからないが、落ち着いたとき、あらためてちゃんと家族集めて法事しましょう、とお伝えした。それが希望になればいいなと思った。

 

写真は、2012年堺支院御遠忌法要の時の立花。最近は立花のご依頼もないw こうやって昔の立花写真を見ると、まだまだだなぁと思います。