格安葬儀の危うさ


真の供養、安心にならない

 拙僧のお寺では「お寺葬」といって、お寺で古式ゆかしき本式の葬儀をやや安価で行えるように取り組んでいる。他にも葬儀に関する相談や講義、会館葬儀での見積もりも同席するなど、この10年間たくさんお手伝いしてきた。

 だからこそわかる、「格安うたう葬儀」の危うさ、である。

 宣伝されているような10数万円の価格で良い葬儀は絶対できない。「安かろう良かろう」はなくて「安かろう、悪かろう」である。

 格安葬儀は安価にするために、その家の宗教性や地域習慣性、そして「儀式」を省略している。「亡き人(死)への儀礼」を省略されてしまうと、宗教者は教えや儀礼、伝統を伝える場がなくなる。

 よく考えて欲しい、「教え」のない儀式になんの意味があるのか。疎ましく思うかもしれないがその伝統儀礼をなぜ先人たちが大事に守ってきたのか。葬儀式は遺族がその意義に遇う大事な機縁なのだ。

 儀礼を省略して単なる自己満足セレモニーで終わってしまっては、遺族にとって、真の供養、真の安心にならない。

 「亡き人のために」という意識名目だけでは自己満足にとどまり、十分な供養にはならない。「亡き人から導きを得る」が真の供養であり亡き人が生きることになる(成仏)。

 仏教とは、仏(涅槃)から教えてもらうとかいて仏教である。念仏とは、仏から念(おも)われているとかいて念仏である。その願いを受け取ることこそ残された我々ができる最大の供養である。

電話仲介のみで葬儀をしない「小さなお葬式」

 「小さなお葬式」など、テレビでよくみかける格安葬儀CMは、単なる電話仲介業者でそれ自体は実働せず、契約した地元の葬儀社を紹介するだけで仲介料を儲ける業者である。業務は現場の地元葬儀社に条件付き丸投げである。

 葬儀料金の一割から三割が仲介料になるので、地元葬儀社は差し引かれた金額でできる葬儀をする。だからそのような仲介業者に頼らず自分で地元の葬儀社に依頼した方がその分良い葬儀ができる。そして地元葬儀社は電話仲介業者の厳しい条件に泣き泣き従事するか、「良いお葬式を」という理念を捨てて割り切って従事するかのどちらかになる。

 割り切ると回転勝負になる。一割から三割が仲介手数料なのでより多くその業者から葬儀を受けた方が収入になる。小さな安置所を沢山作って、できるだけ早く火葬して還骨初七日はしない。早く安く回転勝負である。

 その方針に偏ると葬儀式/葬儀社の質の劣化はいなめない。例を話すとある時、火葬式プランだった遺族と拙僧がコミュニケーションした結果、やはり通夜/葬儀式をしたいと言われたことがある。するとその葬儀社は「日程と時間そして人員がとれない」と難色を示したので、拙僧がその狭い安置所に略式の祭壇を用意して執行したことがある。その葬儀社はとても迷惑そうにして「そういうプランじゃないんです」とまで言われた。「出棺するまでの自由時間にコッチで式をするのだからお手を煩わせません」と押し切ったが、亡き人を追悼する儀礼に難色を示す姿は葬祭業の儀人としてあるべき姿ではない。その例では拙僧が葬儀の手配に慣れているからできたことだが、その他多くは「やはり…」と考え直しても、回転勝負の葬儀社の場合は対応してもらえない実状がある。

 反対に、先の「厳しい条件に泣き泣き従事する葬儀社」は、葬儀に対する高いプロ意識を持っている。葬儀社は遺族に寄り添うプロフェッショナルである。商売の面も確かにあるが、大切な人を亡くした人に心から寄り添い悼みを共感するプロである。悼みに寄り添うコミュニケーションの結果、遺族の方から「火葬だけと思っていたが、やはり枕経やお通夜もしてあげたい」という気持ちが出てきたりする。回転勝負する方が収入良いのに、悼みに寄り添うことを最優先するのだ。その結果、追加料金が発生することになる。「小さなお葬式」を利用した人の中には、追加料金をうたっていないことに不満を持つ人も出てくるだろう。

重大な問題点「業界(人)の育成がない」

 葬儀電話仲介業者に従って、格安で回転勝負する方が収入になる。葬儀業界全体がそのように偏ると、葬儀人の悼みに寄り添う精神や技能の育成が弱くなる。今はこれまでの貯金でなんとかなっているが、次世代葬儀人の育成にはならない。式典もまた同様である。将来的に心温まる葬儀を行う技能と文化を日本から喪失する可能性がある。

 電話仲介業者は業界から単に搾取しているだけのカタチになっていて還元がない。仲介だけで美味しい思いしているのだから、仲介業者は葬儀人育成や葬儀文化向上のために業界に対して経済的支援や投資などして業界の保全を担うべきだ。喰いつぶすだけの存在では、その正体がこうして明るみに出始めてきたら失墜することになるだろう。

事態を軽視する僧侶側の問題

 昨今は、お布施の何割かを仲介料としてキックバックして、葬儀社に葬儀を仲介してもらう僧侶が増えた。悲しいことに、先の理屈の通り回転勝負で葬儀だけを専門にするならずもの僧侶も増えた。各本山側はこれを取り締まる手段がない。20年前では、そういったならずもの僧侶は周囲にバレないようにコッソリと葬儀社と仲介料契約していたが、最近は恥じもせず堂々と名乗りまであげるようになってきた。葬儀を紹介してもらっている手前、儀式について葬儀社に意見が言えない。葬儀社に頭が上がらない僧侶は今後も増えることだろう。

 そういうお坊さんたちの中には、「法話や説教しても聞いてもらえない」「儀式を丁寧にしても興味をもってもらえない」「時代や社会風潮がそうだから」「葬儀社がそうだから」などなど、自分たちの布教努力不足や研鑽不十分であることを、基本的に喪主や遺族、時代や社会のせいにして反省がない。葬儀式の「導師」を名乗るのであれば「導く師」として宗教儀礼と教えの布教を努力するべきだ。怠ることなく研鑽するべきだ。

 この点に於いて拙僧も同様である。だから共に研鑽して刺激しあう仲間は大切だ。僧侶方におかれては、我々が『導師』として至らぬせいで昨今の現状を招いていることを慙愧しなければならない。

 「仏法押し売れ」と先達から習った。『ご導師』なのだから、仏事儀礼である葬儀に対して活発に意見するべきだ。


以下は「産経新聞」の記事抜粋

「満足のいくお葬式」で弔いを 地域密着の「全葬連」が提供/トラブル回避の葬儀社選び

葬儀をめぐるトラブルがあとを絶たない。特に最近は、「安さ」「簡素」のみを強調する葬儀社がでてくるなど、葬儀の姿が以前とは異質なものになりつつある。葬儀を終え、「こんなはずではなかった」「想定外の出費を迫られた」といった思いを持つ遺族が少なからずいるのが現実だ。

「大切な人との別れ」は、だれもが人生で経験する。あたたかく、丁寧で、費用も明朗な葬儀で故人を送るには、どのような点に気を付けたらいいのか――。経済産業大臣認可団体で、創立から70年近い歴史を持つ「全日本葬祭業協同組合連合会」(全葬連)の専務理事、松本勇輝さんに、「心を込めた葬儀」と「トラブル回避」のポイントを聞いた。

「安さ」ばかり強調、トラブル多数

―葬儀をめぐるいろいろなトラブルが発生していると聞きます

「当初予定した代金よりも、想定外の追加料金がかかった」「値段ほどのサービスがなかった」といったトラブルが増えています。国民生活センターに寄せられている葬儀サービスについての相談件数は2018年が622件、19年632件、20年683件(国民生活センター調べ)と年々増加しています。

また、全葬連消費者相談室には、全葬連に加盟していない葬儀社に関するトラブル相談が多く寄せられるのですが、国民生活センター同様に、追加料金などに関する相談が多い傾向にあります。

―トラブルの背景にはどのような問題があるのでしょうか?

「安さ」だけを売りにした「葬儀仲介業者」が登場してきていることが一因だろうと思っています。これらの業者はインターネットやテレビCMなどで盛んに宣伝をしていますが、この業者が実際の葬儀をするわけではなく、葬儀社から手数料をとったうえで提携している葬儀業者に葬儀を任せるわけです。高いところでは手数料が3割程度にまでいっているところもあります。(全葬連調べ)

通常であれば、宣伝しているような安い値段では、いい葬儀はとてもできません。10万円ほどの葬儀プランで、3割近くが仲介手数料だとしたら、残りの額でどのような葬儀ができるでしょうか。

だから高額な追加料金が発生してしまうケースが出てくるのです。仲介業者のなかには、安さだけを強調するあまり、追加料金に関して告知が不適切だったとして、消費者庁から課徴金納付命令を受けたところすらあります。

残念ながら一部の葬儀社は「葬儀への経験や知識が足りない」「見積もりがいい加減」というのが現実です。あまり知られていませんが、葬儀社というのは行政への「認可証」も「届け出」もなく、誰がいつでも開業できてしまうのです。行政や業界団体の目が届かないところで、一部の業者が「安さ」のみを強調した宣伝・広告をしているといった問題もあります。

「安さ」ばかりを宣伝したプランは、葬儀の「質の劣化」につながりかねません。そんな落とし穴があることを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。それがトラブル回避にもつながると思います。

―とはいえ、「家族葬」など、「小規模」で「安価」な葬儀を選ぶ人が、年々増えている現実もあります。

家族葬が認知を広げた背景には、コミュニティーの変化があります。核家族化、少子化によって遺族、親族の人数が少なくなりました。また、高齢化によって、喪主世代までが退職を迎えているという現実は、葬儀への参列者の減少につながっています。

とはいえ、故人の生前での交友関係などを無視して、極端に参列者を絞り込んだ家族葬をしてしまうのはどうかと思います。葬儀後に故人と縁のある人が、「お線香をあげたい」といって次々と弔問に訪れてくれたり、「なんで私に知らせてくれなかったのか」と不満を持ったりといったトラブルも現実に発生しています。

極端に値段や規模ばかりに気をとられ、故人と交友のあった人や親せきに「来ないで欲しい」と伝えるケースすらあるのが現実です。それが故人のことを思った葬儀であるとは思えません。──記事へ続く