つい見てしまう

【三具足について】

浄土の功徳を現すお荘厳。

華……清浄・・・(貪欲)欲に身を任せている自己に目を覚ませ、という清浄なる働きをあらわす

香……歓喜・・・(瞋恚)自分の都合ばかり追い求めず、共に歓喜する心を取り戻せという働き

灯……智慧・・・(愚痴)煩悩具足の無明の闇にとらわれていることに気づきをあたえる働き

 その日は雨が降っていて、私が車の運転中に、赤信号で停車しようとしたその時でした。車窓から見える、階段上に立つ綺麗な後ろ姿のスカートの女性が、落とした傘を拾うため前屈みになった仕草についうっかり見とれて、前の車に追突してしまいました。

 もう恥と後悔しかありません。

 停車寸前だったので、お互いの車にも身体にも特に異常はありませんでしたが、心が痛いです。

 前のドライバーに、追突した理由を正直に「すんませんでした、ついうっかりよそ見してしまいまして」と言うと、「あ、あの傘落とした女の子? オレも見てた!」と気さくに言われてビックリして、ちょっと救われました。

 先方も、女の子を見ていたせいで私が想定していた位置よりやや手前に停車していたということでした。

「おたくの方からは見えましたか?」「いいえ、結局見えませんでした」などと話し合い、お蔭で仲良くなりました。検分にきた警察官からは「あんたら仲良しか」と突っ込まれました。

 異常が後からでてきたら連絡くれるそうですが、今のところありませんので良かったとほっとしています。

 しかしそれにしても、それほどガッついて見たかった訳でもないのに、つい見てしまう根。迷いを起こさせる因である六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)の清浄なることは誠に遠く感じます。どれほど立華しても、清浄は遠く、欲に身を任せて生きてます。ただ荘厳はきらきらとわたくしを照らし出しています。