この度、当山恩楽寺本堂の屋根裏におきまして、主梁への深刻なシロアリ被害が判明し、大規模な修復事業を執り行うこととなりました。
当山の本堂は、先の大戦における模擬原子爆弾の爆風を受け、南側へと傾きました。先達たちは、その傾いた姿こそが戦争の悲惨さと平和の尊さを無言のうちに語り継ぐものであるとし、あえて傾きを残す形で80年間保存し続けてまいりました。その願いを受け継ぎ、私たちは東住吉区田辺の重要な戦跡であり、聞法道場であるこの本堂を未来へ残すため、「大屋根を修復しつつも、爆弾被害による本堂の傾きはそのまま残し、外骨格(外部構造)によって耐震補強を施す」という、特殊な修復工事を敢行することを決断いたしました。
この「非戦の象徴」を次世代に繋ぐことは、今を生きる私たちの宿縁であり、また大きな喜びでもあります。
つきましては、本堂修復記念事業として「天井絵」の募集をいたします。 新しくなる天井に皆様の想いを描くことは、修復に御寄進いただいた方の御芳名を、恩楽寺の歴史として後世に永く留めることでもあります。
傾きながらも立ち続ける本堂を、外側と内側、双方から支えるための浄財を賜りたく、門徒の皆様、そして有縁の皆様に伏してお願い申し上げます。
紫雲山恩楽寺は、戦国乱世の時代、蓮如上人のご教化を受けた天台僧・法永房(初代住職)によって開闢された聞法道場です。
恩楽寺が創建された天正元年(1573年)、時代は室町幕府が滅亡した激動の最中にありました。
戦国武将たちの華々しい武勇伝の影で、当時の戦場では「乱暴取り」と呼ばれる略奪や人身売買が日常的に行われていました。絶望の淵に立たされた人々にとって、唯一の光となったのが、親鸞聖人が明かされた「如来の本願」による究極平等の教えでした。
人々は救いを求めて寺院に集まり、自衛のための「寺内町」を形成しました。これらの自治集落は、現在の商都大阪の源流となっています。
※画像は「国宝:大坂夏の陣屏風絵」に描かれた、
徳川方が大阪の町に行った乱暴取りの様子。
しかし、強大な権力者である織田信長は、この自治組織を脅威と感じ、苛烈な弾圧を開始します。元亀元年(1570年)、本願寺門主・顕如上人は門徒の拠り所を守るために蜂起し、十余年にわたる「石山合戦」が幕を開けました。
この戦火はここ田辺の地にも及び、「早鐘ツキバ」だったここ東住吉一帯も激戦地となり、当時の防衛拠点であった田辺の寺院群も凄惨な被害を受けました。多くの寺院が全焼し、信長方から惨い乱暴取りを被ったと伝えられています。
まさに地獄の苦しみの中にあった民衆の願いに応えるべく、僧・法永は念仏の道場として恩楽寺を開いたのです。
時代は下り、第二次世界大戦中、昭和20年(1945年)7月26日。アメリカ軍によって、恩楽寺からわずか200mの地点に、原爆投下訓練用の巨大爆弾「模擬原子爆弾(パンプキン爆弾)」が投下され、田辺は凄惨な被害を被り、多くの命が失われました。
恩楽寺の本堂はその爆風を受け、南側へ大きく傾きました。
しかし、爆弾被害者や戦時下に亡くなった方々の追弔のためにも、地域の精神的支えを失ってはならないという先達たちの熱い願いにより、あえて「傾いたまま」の姿で今日まで護持されてきました。
親鸞さまの教えにおいて、私たちは「煩悩具足の凡夫」であり、まっすぐに立つことのできない歪んだ存在です。
しかし、阿弥陀仏の本願は、その傾き、その歪みをそのままに抱きとめるものです(摂取不捨)。 垂直に修復せず「傾き」を残すという選択は、かつてそこで流された涙や、失われた命の記憶を物理的に保存することに他なりません。それは過去と現在を繋ぐ「時空の栞(しおり)」であり、考古学的にも一級の生きた証拠です。
「この本堂の傾きは、私たちが歩んできた苦難の歴史そのものです。まっすぐではないからこそ、私たちは己の弱さを知り、仏様の慈悲に頭を下げることができます。」
この「傾いた御拝柱」は、戦争の非道さを語り継ぐ平和学習の場として、現在は府下の多くの小中学生も訪れる大切な戦跡となっています。
また、第二次世界大戦時下では、第23代住職故乙部法城・坊守乙部良子は、政府や本山東本願寺などからの「地域や門徒への戦争協力呼びかけ」を拒否し、通達や要請を本堂の押入の天井裏に隠しました。これらの資料は戦後70年の時を経て第25代住職によって発見されました。
当山には、先人残した願いと戦争の悲惨さを後世に伝える重大な使命があるのです。
今日、本堂大屋根の主梁がシロアリ被害に遭い、構造を維持することが困難な状況にあります。
私たちは、この田辺の重要な戦跡であり聞法道場である本堂を保全するため、「大屋根を修復し、本堂の傾きを残したまま、外骨格によって耐震補強を施す」という特殊な修復工事を敢行することを決意いたしました。
自力では立ち上がれない私たちを、外側から支えてくださる如来の慈悲を象徴するかのようなこの工法により、非戦の誓いを未来へ繋ぎます。
梁が蝕まれている現状は無常の理でありますが、この「非戦の象徴」を次世代に繋ぐことは、今を生きる私たちの宿業であり、喜びでもあります。
加えて、天井も古くなっており、風が強い日は土や埃がパラパラ落ちてくる状況です。そこで、今回の工事に際して天井も合わせて改修することになりました。
つきましては、本堂修復に御寄進いただいた方のお名前を後世に残すことにもなりますので、本堂修復記念事業として「天井絵」の募集をいたします。
本堂を支えるための浄財を賜りたく、門徒の皆様、そして有縁の皆様に伏してお願い申し上げます。
令和7年 恩楽寺第25代住職乙部大信 恩楽寺法要実行委員会
模擬原爆によって、本堂全体が南方向へ前傾しています。
特にこの御拝柱が顕著に傾いており、一発の爆弾の恐ろしさを今に伝えております。
多くの参拝者がこの柱をなでて平和への誓いを新たにしています。
よってこれらの柱は、これ以上倒壊することがないように、傾きを残したまま鉄骨ベルトで保全する方針です。