開催日時 : 毎年7月26日
場 所 : 真宗大谷派 恩楽寺
大阪市東住吉区田辺1-14-18
主 催 者 : 7.26田辺模擬原爆追悼実行委員会
模擬原爆は長く歴史に埋もれた存在でした。原爆投下を成功させるため長崎に投下された原爆と同型、同重量の約5トンという巨大爆弾を大量の製造し日本への空襲の中で原爆投下の訓練をしたのです。こうした隠れた事実を広く知らしめ、広島・長崎の原爆投下を身近に感じて、この悲劇が繰りかえされないことを念じて、田辺に模擬原爆が投下された日時に合わせて追悼式を行っています。
20年ほど前の中日新聞の記事。原爆を落とすために、エノラゲイの繰り返し練習で多くの犠牲があり、戦争であれば練習で人を殺せるということである。ポール・ティベッツ将軍は模擬原爆による練習は非常に有効だった、よい練習になった、と後年語っている。
恩楽寺は当時の爆風で歪みを生じたままで、模擬原爆の凄まじさを物語っている。恩楽寺では毎年、模擬原爆を伝える学校や市民団体などの学習会に積極的に協力している。
田辺模擬原爆追悼式実行委員会の吉村直樹さんが模擬原爆について語り、戦争の悲惨さを映像などを使って子どもたちに訴える。
その当時を知る同区の龍野繁子さんに当時の様子を聞いた。
龍野さんは1945年当時は中学校教諭として、生徒を田辺周辺の海軍ボタン製造工場へ勤労動員の生徒を引率。しかし、材料がなく仕事ができないため、別の部屋へ移動し授業をしようとした際に、工場に大きな石が飛んできた。
「もし移動してなかったら・・・」移動前にいた場所に、両手でも抱えきれないほどの石が屋根などを突き破り落ちてきていた。後にそれは、現在の地下鉄田辺駅前に落とされた模擬原爆によって、爆心地そばの料亭にあった石が飛んできたものと分かったという。
他にも、田辺小学校の講堂には遺体とけが人がずらっとならび、塵と血がこびりついていたそうだ。手足が爆風でもげた人々、電線にぶら下がった人体の肉片の話。爆風で150m吹き飛ばされ、全身ガラスの破片だらけになって絶命した大切な友達。祈るような気持ちでその友達の遺体からピンセットと箸でガラスを除去したこと。
一発の爆弾で一瞬にしていのちが失われてしまう戦争の愚かさを、子どもたちに語る。
毎年、全身を耳にして龍野さんの話す戦争体験に聞き入り、質問を重ねて学ぼうとする小学生たちの真剣な眼差しに、心の底から希望を感じる。「戦前戦中の私たちは愚かなことに、日本は正しいって信じ込んでいました。あなたたちは、何が本当に正しいのか、自分で考えて行動のできる大人になってね」。
人間一人の死がこんなにも悲しいのに、戦争では多くの命が一瞬で人間の手によって奪われてしまう。戦争の不条理を先人たちがちゃんと伝えているのに、日本はまた戦争のできる国になろうとしている。不条理すぎて、拙僧の無力が恨めしい。
わたしたちの町が、原爆投下の練習台に!?
身近にあっても見すごしていた戦争の大きな傷あとを夏休みの自由研究で調べてみると……。
1945年、終戦の年。
原爆投下の練習のため、模擬原爆・通称パンプキン爆弾が日本各地に49発も落とされていた事実を知っていますか?
本当にあったことを、小説で読む・知る。
令丈ヒロ子
帝塚山学院中学校・高等学校卒業。1984年、嵯峨美術短期大学ビジュアルデザイン科絵本制作コース卒業後、福武書店(現・ベネッセコーポレーション)勤務ののち、1990年に「令丈ヒロ子」のペンネームで『ぼよよんのみ』でデビュー。代表作『若おかみは小学生!』シリーズは累計300万部のベストセラーとなり、漫画化・アニメ化もされた。また、『料理少年Kタロー』は2度テレビドラマ化された。嵯峨美術大学客員教授、滋賀県の成安造形大学客員教授を務めている。
私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難の過ちを犯したことを、深く懺悔するものであります。
同時に、我が国には、広島、長崎に、アメリカによる二つの原子爆弾が投下され、まことに多くのいのちが無差別に奪われ、筆舌し難い業苦を被りました。
この二つの原子爆弾に先立ち、模擬原子爆弾という、原爆投下練習用の殺戮兵器が我が国各地に四十九発も使用され、その内の一つが、昭和二十年七月二十六日、ここ東住吉区田辺にも投下されていました。死者七名が犠牲になり、重軽傷者七十三名、四八五戸の家屋が倒壊しました。
この事実は長く歴史に埋もれており、先人がこれを発見し、こうした隠れた痛ましい事実を広く知らしめ、広島・長崎の原爆投下を身近に感じて、この悲劇が繰りかえされないことを念じて、「模擬原子爆弾投下跡地」の石碑を建立し、毎年追悼式を行って参りました。そのように、不戦平和への願いに促されて、その現実に身を捧げておられるあらゆる心ある人々に、深甚の敬意を表するものであります。
しかしながら、戦後七十数年、戦争の悲惨さと愚かさに対する人々の感覚は風化していきます。
その風化は、現在も、基地問題で苦しむ沖縄の人たちの心に向き合おうとせず、戦争に向かう状況を生み出そうとしています。
かつて二五〇〇年前、釈迦牟尼仏・仏陀は、私たち人間の生きざまを憐れんで、仏教を開闢されました。
永い人類の歴史は、人が人を殺し、傷つけ合う悲しみの連続でありました。仏陀の願心は、自我愛を正当化して「賜った尊いいのち」を奪い合うことを悲しみ、私たちに「共に生きよ」と呼びかけておられます。
「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」という仏陀の悲願を受け取り、あらためてここに「非戦の誓い」を表明します。私たち恩楽寺門徒一同は、この懺悔の思念を旨として、祖先より願いを受け継ぎ、人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに仏より賜った信心の智慧をもって、人類と我が宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意して、ここに「模擬原子爆弾投下跡地」の石碑を迎え、不戦の誓いを改めて表明するものであります。
今日ここに集う私たちは、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすることを誓うものであります。
令和元年六月二日 釋大信
この度、当山恩楽寺本堂の屋根裏におきまして、主梁への深刻なシロアリ被害が判明し、大規模な修復事業を執り行うこととなりました。
当山の本堂は、先の大戦における模擬原子爆弾の爆風を受け、南側へと傾きました。先達たちは、その傾いた姿こそが戦争の悲惨さと平和の尊さを無言のうちに語り継ぐものであるとし、あえて傾きを残す形で80年間保存し続けてまいりました。その願いを受け継ぎ、私たちは東住吉区田辺の重要な戦跡であり、聞法道場であるこの本堂を未来へ残すため、「大屋根を修復しつつも、爆弾被害による本堂の傾きはそのまま残し、外骨格(外部構造)によって耐震補強を施す」という、特殊な修復工事を敢行することを決断いたしました。
この「非戦の象徴」を次世代に繋ぐことは、今を生きる私たちの宿縁であり、また大きな喜びでもあります。
つきましては、本堂修復記念事業として「天井絵」の募集をいたします。 新しくなる天井に皆様の想いを描くことは、修復に御寄進いただいた方の御芳名を、恩楽寺の歴史として後世に永く留めることでもあります。
傾きながらも立ち続ける本堂を、外側と内側、双方から支えるための浄財を賜りたく、門徒の皆様、そして有縁の皆様に伏してお願い申し上げます。
開催日時 : 毎年7月26日
場 所 : 真宗大谷派 恩楽寺
大阪市東住吉区田辺1-14-18
主 催 者 : 7.26田辺模擬原爆追悼実行委員会
模擬原爆は長く歴史に埋もれた存在でした。原爆投下を成功させるため長崎に投下された原爆と同型、同重量の約5トンという巨大爆弾を大量の製造し日本への空襲の中で原爆投下の訓練をしたのです。こうした隠れた事実を広く知らしめ、広島・長崎の原爆投下を身近に感じて、この悲劇が繰りかえされないことを念じて、田辺に模擬原爆が投下された日時に合わせて追悼式を行っています。