先ほどご紹介いただきましたとおり、私は、大阪市内にございます東住吉区の恩楽寺というところから来ました乙部と申します。どうぞ1時間ほどお時間をいただいていますので、1席ご法話にお付き合いいただきたいと思います。

 自己紹介でございますけれども、すみません、私は今年で38歳でございまして、昭和55年生まれでございます。若輩でせんえつでございます、こうやって見たら、先輩ばかりですな、すみませんね、こんな若輩で。

 一応自己紹介としましては、大谷大学を卒業した後、10年ほど、南御堂難波別院におりまして、そこで列座やっておりました。その後、自坊に帰りまして、あとは、メンタル心理カウンセラーと、シニアヒアケアリング、こっちの方がメインです。シニアヒアケアリング、その名のとおり高齢者傾聴です、そういうカウンセラーの仕事もしております。

 あとは、MCIと言って早期の認知症の方、まだ段階が浅い方と、おしゃべりをさせてもらったりとか、そんなボランティアをやっていますけれども、そんな者でございます。

 やはり心理へ進んだ原因と言いますか、きっかけというようなものがありまして、なんで人間は、うつ病になったり、ノイローゼになったり、苦悩するのかということです。なぜ悩み苦しむのかと言うたら、言うまでもない煩悩があるからですね。

 この煩悩は、いったいどうして私たちを苦しめるのかなと思いましたら、『仏説阿弥陀経』に、こういう言葉がありますね。「彼佛寿命 及其人民 無量無邊 阿僧祇劫 故名阿彌陀」と。

 簡単に意訳をさせていただくと、かのほとけ、もちろん阿弥陀如来さん、阿弥陀如来さん、ならびに、その願われたる人民、僕らです。阿弥陀さんから、おまえは必ず極楽浄土に往生しやる、本願ですね。心配するな、大丈夫やと、必ず「摂取不捨」、迎えとって捨てへん、そのように願われている私たちすべてのいのちが無量寿である。

 かのほとけ、ならびに、その願われたるわれら人民の寿命、「無量無辺 阿僧祇劫」、すなわち無量寿です、量り知れない尊きいのちであると願われているんです。

 だから、今、聞いておられる皆さんも、ここでしゃべっている僕も無量のいのちをたまわって生きているのです。本当はね、量り知れない尊きいのちなんですね。量り知れない尊きいのちが、なんで苦悩するのか、煩悩があるからですね。

 無量寿であります、量り知れない尊きいのち、こうやって言うたら、ありがたいんですけれども、うれしくないと言う人の方が多いんですよ。僕は、自分のお寺でも、あちこちのお寺や会館でも法話しますけれど、「あなたは量り知れない尊きいのちですよ」と言っても、「わあ、うれしい」というふうに感動して涙しておられる方を見たことがないですね。

 なんでかと言うたら、僕らは、これ「量」が好きだからですね、この字はね、「なんぼぐらい」という字ですね。無量じゃなくて量が心地良いんです。

皆さんは、なんぼぐらいですか。いろいろな数字が付いているでしょう、個人個人に、お年おいくつなのか、血糖値がなんぼとか、血圧なんぼとか、僕やったら体重かな。今95キロ、えらいこっちゃ、痩せないとあかんね、体重も気になるし、あと何が気になりますかね。

 若い人なら成績とか、偏差値とか、学歴とか、収入はなんぼとか、あとは何ですか、いろいろ数字・値段が付いていますね、そんなものが「量」なんやと思うんです。娑婆ではこういう「モノサシ」がないと困るし、この「量」が好きなんですよね。肩書であったりとか、こういうことが好きだから、本来無量のいのちであることを否定しているんです、自らが自らのいのちを否定していることになってしまう、だから苦しい。煩悩が、真実のいのちのあり方を否定してしまっている。自分のいのちにウソついてる。苦しくならないはずがない。今苦しくないと思われているのは、実はまやかしの自己に執着して酔っていて、気づいていないんです、そういうことを無明と言います。なんでも努力次第で思いどおりになっていく、と勘違いしているんですよね。

 でも娑婆では思いどおりにならないことばかりですよね、都合よくいかないことばっかりですよね。だから、先生、困りました、話を聞いてください、ちっとも思いどおりにならないんですと言って、お悩み相談の方がいらっしゃるわけです。

 こうやって聞いていたら、悩み相談って、あれは仏法なんですよ、本当に。だって、ちっともわが身が思いどおりではないですということを、無量寿の方からしゃべってくださっているんですよ。本来、無量寿であることを見失っている状態でしゃべってくださっている、苦悩の話です、いわゆる煩悩の話です。

 それを一緒に考えていきましょう、一緒にどういうエゴイズムを持っている、そのときはエゴイズムという使い方をしているんですけれども、持っているのかと考えていったら、必ずここ「無量寿」にたどり着くから、一緒に時間をかけて。

 かといって、「あんた、無量寿やで」と、今みたいに言うたらあかんねん、反感と言って嫌がられるんです、反発されるんですね。人から、ものを押し付けられたり、概念を押し付けられたりすると、「何を言ってんねん、違うわい」「おまえに言われる筋合いないわい」てな感じで反発をしてしまうんですよ。

 だから、カウンセリングの基本、傾聴を私は大事にしているんです。反感を避けて、聞くに徹するわけです、聞き側に回るわけです。私らお坊さんは煩悩や道理に明るいから、すぐ教えたりお伝えしたくなっちゃうんだけれども、それをガマンして、聞き役になるです。

 だから僕の月参り、ご命日のお参り、うちのところは大阪やから月参りがあるんです、お逮夜参りと言うんですけれども、毎月ご命日にお参りさせてもらいます。そのときに、僕は聞き役になっているから、だいたい8割、9割の人が、私が来たら、私の顔を見たら、「さあ、しゃべってやろう」と、もう7年かけて、こういう土台ができてきました。

 その口から出てこられることが、全部仏法。こんな都合が悪いことがあったんやで、こんな不平不満、愚痴、悪口、人の陰口、もうけ話、これは全部煩悩の話ですね。そういうことを聞かせていただくわけです。

 それを坊さんに向かって、おしゃべりをされるから、必ず仏法寄りのお立場の考えるチャンスをくださるんです。そのときに、ズバッとお伝えしなくてもいいんです。その月々のお話を、ちゃんとこっちが、僕は日記など作って残しておくんです。

 この話を、法事とか、年忌法要とか、何やったら通夜のときとかに話すんです。「あの時、こんなことを言ってはりましたね」とか「生前、こんなことを言ってはってね」。先月こんな話をしてはりましてねとかそうやって、ある意味機に応じた法話かな、そのお悩みを聞いて、それに応えた内容の法話をするようにしています。そうすると、聞く姿勢が違うんですよね。とても良く聞いてもらえます。本人もそのご家族も。

 ちょっと話が脱線しましたね、戻ります。

無量寿と言うたら、サンスクリット語に戻したら、「アミターユス」です。無が「ア」で、量が「ミター」で、尊きいのちが「アーユス」。「ナマス・アミターユス」というのが南無阿弥陀仏というふうに中国で音写されて、私たちのところに届けられていますね。そして、「ナマス・アミターユス」を漢文にすると、「ナマス」は帰命になります。つまり、正信偈の一句目、「帰命無量寿如来」になるわけです。

 この南無阿弥陀仏のことを、どうやっていただいていったらいいのか、南無阿弥陀仏をとなえ続けましょうということを、親鸞聖人は『正信念仏偈』というふうに、お歌いしてくださっています。さっきも皆さん、一緒にご唱和致しましたけれど、『正信念仏偈』、省略して『正信偈』と言っていますね。

 『般若心経』も省略されていますね、『摩訶般若波羅蜜多心経』というのを省略して、『般若心経』と言っていますね。僕らも、伝統的に『正信偈』という。本当は『正信念仏偈』というフルネームでございます。これで漢文になるんです、この時点で漢文なんです、ちゃんと頂戴してみたら、念仏の「念」という漢字が大事ですね。「スムリティ」と言うサンスクリット語が、「念」に訳されています。

 じゃあ、スムリティの「念」という漢字は、どういう意味なのかと言うたら、下がこころですね、下がこころの漢字は、みんな「おもう」と読めるんです。日本語にしたら「思う」と、「う」が送り仮名です。親鸞聖人も、時々「念」のことを「おもう」というふうに使っておられますよ。だから下がこころとつくりの漢字は、みんな「おもう」と読めるので、上が田んぼでしたら、私が思う、僕が「思う」です。

 上が相手の「相」の字だったら、思想の「想」になって、これだったら相手のことを「想う」。疲れてはるのかな、我慢してはるのかな、そうやって相手のことを想うというのが、こっちの「想い」ですね、これらは自分の方がどうおもうかですね。

 それで「今」という漢字、「スムリティ」という漢字の「念い」となったら、これは、ずっと思うという意味なんです。深く深く途切れずに終わりも始まりもなく、ずっと、ずっと思い続けるのが念仏の「念」の思うということになります。

 そうすると、ほとけさんのことを思う、念仏する、念仏してあげる、ほとけさんのことを思うと書いたら、これは自力ですよね、ほとけさまを念じ続けるというのは自力になります。用心しなければなりません。自力の念仏だけでは、特に今日みたいに念仏のいわれを確認する機会がなければ、いつのまにか、「安らかにおねむりあれ」とか「御利益ありますようにご先祖様」とか「私が念仏したってる」になって本義から外れてしまう。

 われわれの教えは違いますね。ほとけさま「が」なんです。ほとけさまの方「が」、すなわち他力です。私たちのことをね、休憩せずに、見捨てずに、諦めずに、ずっと念い続けてくださっている、これが念仏になります、南無阿弥陀仏ですわ。

 私たちが、家事・育児・仕事・睡眠・食事と基本的に生活の8割か9割かは、阿弥陀さんや、お浄土に先にまいられた、成仏されて呼び掛ける存在となっているあの人、あの子、あの方々のことを忘れています。そうだけれども、ほとけさんは念仏です。

 ずっと私たちに向かって、「こっちやぞ、こっちやぞ、お浄土があるねん、阿弥陀さんが待ってはるねん、こっちやぞ、心配するな、大丈夫や、おまえのいのちは無量寿や、何も心配はいらへんねん。南無阿弥陀仏をせえ、さあ名号をとなえよ、必ず極楽浄土に往生する。任せよ、そのまま来い」と言って、ずっとずっとほとけさんの方から思われ続けている、そのことを正しく信じたいなというお歌です。

 正しいということも大事なんですよ。正しいという漢字を象形文字に戻したら、こんな字です、熟語だったんです。国という象形文字があって、これに対して兵。すなわち戦争をあらわした文字だったんです。

すなわち、効率よく合理的な用兵、兵隊を効率よく合理的に用兵した方が正しいというのが、本来の象形文字の意味なんです。

 だから効率的な方が正しい、合理的なものが正しい、力が強い方が正しい、勝っていると言いますよね、同じなんです。

 象形文字だったのは5千年くらい前ですよ。これが、だいたい千年ぐらいの時間をかけて漢字に変わっていきます、一を持って止まるという漢字にね。すなわち戦争をやめる方に変わるんですよ、正しいという漢字の意味が。一を持って止まるです、いったん停止ですよ。

 今日、僕は車で来ましたけれども、いったん停止線があったら、皆さんも必ず止まるでしょう。なんで止まるのかと言うたら、左右を確認してから進まないと危ないからです。わがままに暴走運転してたら危ないんです。すなわち人生、これも一緒、立ち止まって観察して見れば、右、左を確認して、ご縁です、状況が、あらゆるご縁が、この私を進めてくださっている。

 今の私がここにあるのは、立ち止まって観察してみれば、おかげさまなんです。何一つ執着するべきではない、何一つ喜ぶべきである。全部が、おかげさまというものを観察する時間です。正(しょう)と言う正しさ、いったん停止ね。

 戦前のわが国は、日本は正しいと、大東亜共栄圏が正しいと言って暴走して、いったん停止せずに暴走した結果、大きな悲しみを生みました。

僕の方が正しい、私の方が正しいと言っているもの同士がぶつかったら、けんかにしかならないですよ。家のなかのけんかだったらいいけれど、戦争だったら悲惨やないですか。もちろん「戦争をやめてくれ」「待ってくれ」という声は、いっぱいあった、そういう声を出す人は、ものすごくたくさんいらっしゃった。それを踏みにじったんですよ。「日本は正しい」って国全体が酔っ払って盲目になって。「私は正しい」「こっちが正しい」と言って暴走しているわけです。

そうやってわが国は、ものすごい数の青年を死地に追いやって、原子爆弾を二発も落とされて、むごい苦しみ悲しみを受け取って、ようやく立ち止まった。止まらされた。むごいむごい業苦を受けてようやく止まった。沢山死んだ。沢山、すごい数の悲しみが、過去帳にかいてあらぁ、業苦の中で死んでいってしもた方々が。

この反省を、憲法九条いうんです。二度と、繰り替えさないって、大事な大事な希望です。この法律はね、ある意味地球の希望、人類の希望なんですよ。これを改憲しようとする動きがあるでしょ。立場や都合で、また見失いかけている。人間には反省する習慣すなわち「正」を聞く時間が必要なんです。これをね、「慚愧」というんです。

 立ち止まる知性、立ち止まってものを考える勇気、そういう習慣、共に行こうというふうに考える知性を本来の正しさ、純粋なところへ帰る。あっちにはあっちの立場もあろう、こっちにはこっちの願いもある、目的がある。うまいこと間を取って共に行かんかねというのは、自利・利他と言って、中道だというふうに思いますよ、菩薩道だと思いますよ。

 正しいという漢字1字に、戦争をずっと続けてきた中国が、違う、立ち止まれる知性が本来の正しさなんだと言って、一を持って止まると変化してきたんだということです。

 この信じるという漢字も、脱線するようですけど、脱線してばかりですね、最後まで行けるかな。「手紙」という字があるでしょう、英語にしたらレターです、つづりを忘れたから片仮名で書きます、レターです。

 手紙を中国に持っていっても、お手紙にならないです。手紙という漢字を中国に持っていったら、なんとトイレットペーパーになります。そうなんですよ、だから中国の方に直接聞いたことはないんですけれども、いや、日本人ってトイレットペーパーで手紙を書いてはるでと思うかもしれませんね。

 では中国にレター、手紙を持っていったら、何になるかと言うたら「信」なんです。受信する、送信する、送受信する、通信するとか,ちゃんと日本語になっていますね、「信」という漢字を使います。

 親鸞聖人は、私たちに向けて賜りたる信心ですぞ、いただくんですぞということを、あらゆる書籍で言っておられますよね、賜りたる信心やでと言って。すなわち信とは、いただくものなんです。お手紙もいただくものなんです。

 こういう南無阿弥陀仏があって、南無阿弥陀仏の方から発せられているものを受け取る、賜りたる信心、いただく、本来の信に返ってきたら、「信」という漢字1字だけを見ると、僕たちは、どうしても主語を無意識的に置いて、私が信じる、私が信じた、信じてみよう、信じている、信仰している、信心しているというふうに、能動的にこの漢字を捉えてしまうので、そうではないと。

 お手紙いうのは、いただくもんでしょ? 向こうさんから発信されたメッセージを、どんな気持ちで書かれて、どんなことをこの私に伝えたいのか、そういう受け取りがお手紙であります。

 賜りたる信心、向こうからや。ほとけさんから思われているということを「正信念仏偈」、これは漢文になっているので、ほとけさまが見捨てずに、嫌わずに、選ばれずに、私たちの一つ一つのいのちを、ずっと、ずっと、終わりもなく、始まりもなく、信じて守り続けていらっしゃる。そのことを純粋に、わが力で聞くのではなくて、純粋にちょうだいしたいな、いただきたいなというお歌に変わりますね。

 だから500年前から蓮如上人の『御文』のとおり、ずっと私たちは、これを毎朝毎晩正信偈を読んできたんですね、この「正」の時間を大切にしてきたんです。この読むということがバトンなんです。相続されてきたこの願いを歌いつないで、最初はかたちでいいんですよ。僕もそうです、今38歳ですけれど、最近になるまで、よく分からなかった。なんでお経さんをとなえないとあかんのかなと、かたちから入るって、すごく大事ですね。枠がないと、かたちがないと渡せないんです。

 だから、こういう場所もそうです。本堂があって、お内陣があって、家にはお内仏があって、そこに毎朝座る習慣があってということをバトンしていかないと、次の世代にバトンタッチできないのです。皆さん、そうやってバトンされてこられた人々でしょう。だから同じようにバトンをしていっていただきたい。

 おまえのいのちは無量なんやでと聞いて立ち止まる時間があった方が、ある人生とない人生だったら、どっらの方が豊かでしたか。皆さんは考える時間を持ってこられたでしょう。多くの人が、たぶん持っておられないんです。子孫よ、孫よと、ほとけさんが、お浄土にまいられたあの人、あの子がね、「こっちやで、こっちやで」と言って呼んでいるんですね。

 だから無量のいのちに帰せよ、「もとの阿弥陀のいのちに帰せよ」という講題を付けさせてもらいました、だから「帰命無量寿如来」ですよ。「量り知れない尊きいのちに帰ろう」という講題を付けさせていただきましたけれども。

 また脱線していい? 「量」ということを、もっと分かりやすく言うたら、私は、メダカを飼っているんです。趣味で、境内が少しでも涼やかだったらいいなと思って、スイレン鉢を12個ほど並べて、それぞれに、いろいろな種類のメダカがいるんです。生き物の飼育って楽しいですよね、メダカに限らず、キンギョであったり、何かそういうのを育てるのが、もともと好きだったので、メダカを始めてみようと、スイレンも一緒に、スイレン鉢だから、スイレンも咲いて、スイレンの真下をメダカが泳いでいる。

 いろいろなメダカがいるんです、種類も豊富、品種改良が進んで、珍しいメダカが、いっぱいいるんです、ぴんからきりまでおります。1匹5万円とかね、こんな2、3㎝で2年、3年で死ぬのに5万ですって。

うちの家におるメダカちゃんは、1匹1200円で、青いメダカ、ミユキメダカと言うんですけど、こうやって青い筋が品種改良によって3本入っていて、懐中電灯を当てたら、この青い筋が光ってるように見えるんです。だから、青いメダカが1匹1200円、 ミユキメダカと言います。

 その次におるのが、500円の赤いメダカ、楊貴妃メダカと言って、真っ赤でキンギョみたいでかわいい。その次にシロメダカ、1匹300円ぐらい、これが、今、日本で一番はやっているかな。品種改良して、白いやつをいっぱい増やして真っ白なんです、かわいいです、発見もしやすい。

 それで、ちょっと離れて1匹50円のクロメダカ。クロメダカが、日本のメダカ、この辺はもうおらんけれど、田んぼとか、もともとどこにでもいた、このクロメダカがメダカのほぼ原種です。真っ黒だから、上から見ても、なかなか発見できない、人影が入ったら、ひゅっと、このメダカは、すぐ隠れる。ほぼ野生に近いからね、死ににくくて増えやすい。クロメダカ、最初二匹買ったんですが、今や600匹いますね、うじゃうじゃと。うまいことなっていて、値段が高いほど死にやすくて増えにくい。だから、そういうふうになっているんでしょうね。

去年の猛暑、去年は暑かったでしょう、今年も、もしかしたら暑くなるかもしれませんね。猛暑で、ちゃんとふたをしたりとか、いろいろ工夫しているけれども、水のなかにおるくせに、この子ら熱中症になる、だんだん死んでいく、で、高い順番から死んでいくんです。

 1200円のやつを、僕のポケットマネーで10匹買ったんです、1万2千円全滅や、悲しかったですよ。「うわあ、なんで死んだんや、水の換え方が悪かったかな、餌をやり過ぎたかな」とか、いろいろ考えました、反省もする。それでもだんだん死んでいく、死んでいくたびに、私が大騒ぎをしていくんです。今度は赤が死に出した、白が死に出した、順番に死んでいくんですよ、とても悲しかったですね、反省もします。

 ところが、1匹50円のクロメダカが、なかなか死なないし丈夫なくせに、この子もやっぱり死ぬんですよ。時々、やっぱり死んでいるので、そんな時の私の反応っていったら、「あ、クロメダカも死ぬんやぁ」で終わり。だから、こんなものです、これが「量」です。50円とか1200円とか、こんなんマボロシの数値ですよ、ホントは、「無量寿」なんです。

 僕は毎日『正信偈』を読んでいるんですよ。「帰命無量寿如来」と、必ず声に出しているんですよ。そうやけれども、この「量」ですね、なんぼぐらい、いのちの値段と言うかな、これに酔っぱらっておるんですね、無明なんです、気付いていない。

 僕んとこ今6歳の娘おりまして、一緒にメダカ世話してくれます。かわいいんですよ。最初に死んだのがアオメダカだったから、メダカが死んだって、僕が大騒ぎをしているでしょう。その時の娘は4っつくらいだったんですけれど、いとけなきいのちです、何も知らない。だからメダカが死ぬということは、とても悲しいことなんだと、彼女なりに思ってくれていて、彼女は黒が死んでも、白が死んでも、青が死んでも関係ない。未だ大騒ぎしています。「父ちゃん、えらいこっちゃ、クロメダカちゃんも死んでいるよ」と言ってね、僕は、ああ、そやなと言っているだけやけど、娘は大騒ぎや。

 こんなものね、だからどういうことかと言うたら、今日の講題でいただいている『安心決定鈔』の一節ですけれども、「しらざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども」、知らざるときのいのちと言うたら、うちの娘みたいに、おぎゃあと生まれてきて、ありのままに無量のいのちを、量り知れない尊きいのちを、ありのままに体現している、おぎゃあ、おぎゃあと言って。

 「しらざるときのいのちも、無量のいのち、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときはしらず」。いとけなきときと言うたら、幾つもまだないと、5歳とか、3歳とか、まだ何も分かっていない、そういうときやね。

 「いとけなきときはしらず、すこしこざかしく自力になりて」、だんだん自力になってくる、知恵がついてくる、煩悩が、なんぼぐらいということを、だんだんこだわるようになってくる。うちの娘は5歳だけれども、やはり、こっちのご飯の方が多いとか、こっちのお菓子の方が少ないとか、だんだん知恵がついてきましたわ。

 「いとけなきときはしらず。すこしこざかしく自力になりて、わがいのちとおもいたらんおり」。私は肩書はお坊さんで、法話の講師をあちこちでやっていて、もと列座だから儀式も得意、立華も教える、カウンセラーもやっていますとか、肩書が、こうやってだんだん無量のいのちを覆い隠していくんです。「量」です、量にとらわれて、ここばかり見て、「すこしこざかしく自力になりて、わがいのちとおもいたらん」、私はこんなものだというふうに思いたらん、と、そんな時に、「善知識もとの阿弥陀のいのちへ帰せよと教ふるをききて」、これですよ。今みたいに、「教ふるをききて」、もとの阿弥陀のいのちへ帰せよと教ふるを聞く場所、まさしくこの時間です、こういう時間を伝統的に守ってきたんですよ。今日、皆さんところへやってきているわけです、この伝統のバトンが。

 「教ふるをききて、もとの阿弥陀のいのち」、善知識さまと言うと、だから、べつにお師匠さんに限らず、私に無量のいのちを帰せしむるものです、そういうはたらき、ほぼ他力ですよ。こういう私に帰ってこい、帰ってこいと、「教ふるをききて帰命無量寿覚しつれば」、そうやな、帰命無量寿如来が大事やったなと自覚すれば、「帰命無量寿覚しつれば、わがいのちすなわち無量寿なりと信ずるなり」。

 そうだ、このいのちは、量り知れない尊いいのち、たった今ありがたい尊いいのちを生きているんだと思い出すことができる、そういう帰ってこいですからね、こんなことですわ。

 ところがね、やはり煩悩がはたらくんです。

「客塵煩悩」と言って、煩悩はお客さんでした。「じん」は人ではなくて、ちりです、「客塵煩悩」と言って、ちりのごとく、つぶてのごとくの煩悩が、だんだんと、このちりのごとくの煩悩が、貪欲、瞋恚、愚痴、自慢、なんぼ、なんぼと言って、どんどん渇愛していくわけです。いのちの真実のあり方が、どんどん煩悩の雲に厚く覆われていって、見えなくなってしまっていく。いらん知恵にまみれていく。わがいのちの真実に対して、われわれ一人一人がそうやって、先輩ばっかりだけれども、その年の分、煩悩、業ですね、だんだんと、こっちの方が早い、あっちの方が遠いと。

 だって生まれたときから、そうやって教わるもん。娑婆を生きるために。早く行かないとあかん、いつも言われていました、僕は遅いから、早く行かないとあかん、遅いのはあかんと言ってね。けんかや競争があったら、勝たなあかん、負けたらあかんと教わるでしょう、子どもにはそうやって教えますよね。

 遠回りしたらあかん、最短距離を行け、少ないのはあかん、多い方がいい、長い方がいい、短いのはあかんと言って、こうやって今も教えているんですよ、娘にね。50円と1200円だったら、1200円の方が価値が高いと言って、業を背負っているわけです。そうしないと娑婆を生きていかれへん悲しき存在ですね。

 人生長ければ長い分、こうやって「客塵煩悩」が積み重なってきて、真実が見えなくなっていく、どこかへ行ってしまう。でも、「帰命無量寿覚しつれば、もとのいのちに帰せよと、教ふるをききて」、すなわち自性は清浄であるというわけです。本来の私たちの性質は、在り方は無量寿、清浄なんです、清らかで知らざるときのいのちと何ら変わりのない自性清浄なんです、量り知れない尊きいのち、そのままなんですね、自性清浄。

 だから傾聴する、ご相談の話を聞くというのは、この客塵煩悩とこの自性清浄の行ったり来たりを聞くわけです。最初は「量」しか見えておられない。そうやけれども、それで本当にいいんですかねということを聞いていったら、だんだんとこの悩みの原因へ深まっていくと言うか、軽くなっていくと言うかということを、何か、こう、目の前で見ているとね。そういう時ありますね。

 昔、元中学生の男の子を担当していました。この中学生の男の子、進学校の中学校へ行って、そこでひどいいじめをした方です、主犯格。もちろん学校は退学になって、地元の中学校へ帰ってきて、地元の中学校へ帰ってきたけれども、1日たりとも、その中学校は通っていないんですよ。そのまま卒業式にも行かずに、高校も入学していないから中卒のまま、ぼやぼやしているところをですね。

 僕の先輩カウンセラーが保護観察しておられて、いろいろ一緒に考えたみたいです、ずいぶん反省しててね、でも高校には進学したくないと言うから、ご両親が、高校に行ってもらわないと困ると言って、今度はその先輩の紹介で、私のところに来るようになったんです。話を聞いていたら怖い顔をしているんですよ。鋭い目をしてて、こっちが見抜かれているような気がしましたね。

 僕は理由があって、ずっと子どものカウンセリング、ケアリングは嫌だったんです、逃げていたんですよ、失敗していたのでね。それを先輩が、いいかげん逃げるな、この男の子から教えてもらえと言われて、立場が反対で、対象の人から、クライアントの方から教えてもらうというような不思議な3ヶ月でしたけれども。

 問答と言うか傾聴していたら、やっぱり質問してくるんです。質問してくることに対して、やっぱり仏法で答えてしまいますね。それは反感を生むので、本来はするべきではないんですが、やっぱり言ってしまいます。そしたら彼は、すっとこれ「量」が入るんです、先輩のところでいっぱい反省をしているから、立ち止まる時間を、いっぱいつくってきたんでしょうね。

 「なるほど、先生も俺も無量寿だと、たった今この瞬間、量り知れない尊きいのちかと、よく分かった。ところが大人が違うじゃないか。俺らはな、偏差値と言って値段を付けられて売買されているねん。賢いやつから売れていって、俺らみたいなごみかすは、先生も相手にせえへん」と、嘆きを聞きました、面白くないと、不平不満を聞きましたね。

 どういうことかと言うたら、小学校のときは、サッカーも上手だったし、6年生の段階で彼女ができた、背も高いし、格好いい子なんです。それでクラスで何でも1番、ちょっと勉強しただけで進学校に入れたんです、ようできるんです。

 ところが、その進学校では、S・A・B・C・Dと言って成績順でクラス分けをされている、そやから入ってみたらDクラスだったと。そしたらDクラスに対して先生は、まともに授業をしない、「おまえら、自分でやる気を出して、やる気を出さへん限り教える価値もないわ」というような扱いをする先生もおったんですって。

 そやからぐれてしまって、親も、「勉強せえ、Dやったらあかん、A・B・C・DのAに行かなあかん、Aに行け」というような感じで指導してくる。フラストレーションがたまって、鬱憤が屈折して、いじめになっていったみたいです。

 こう言っていました。これは彼の言葉なんですけれども、なんでいじめたん?と聞いたら、「持っていないのに、持っているふりをした」と言うんですよ。自分に中身が何にもないのに、乱暴な言動、人をおちょくったりからかったり。その子、人をおちょくるの上手やねん、口がうまいから、僕もおちょくられました。

 人をおちょくるとか、乱暴な言動、制服のシャツを出し始めたり、ネクタイを緩め始めたりとか、そういうふうに風貌、悪知恵、そういうもので自分を補った、自尊心を補ったと。中身は何もあらへんから、Dクラスの子でしかないところを、Dクラスにワルのナニベイナニガシあり、というふうな感じに一目置かれるように、自尊心が膨れ上がっていったという。

 ちょうど大人が高級外車に憧れたり、高級腕時計に憧れたり。私の姉がいるんですけど、姉が「国産よりも外車やな」とか言っている、腹が立つなと思って、何でもよろしいけれど、そんな、背伸びしてモノや肩書きで自己を補おうとする。

 そういうのは「慢」と言うんやけど、自慢の慢です。慢の煩悩が七慢と言って七つあるんですけれど、全部言っていたら時間がないから、こういうものが自尊心を補っていくんですよ。それで乱暴な言動、人をおちょくるを繰り返しているうちに止められなくなって、気が付いたら、ひどいいじめに発達したと、止められへんかった。

 いじめてしまったことについては、どう思っているのかと聞いたら、「今も、枕をかんで寝ている、なんであのときに立ち止まる時間がなかったんやろう、タイムマシンで時間を巻き戻したいわ」と言っていましたね。

 君は大人が、こういうふうに扱ってきたからという被害者根性があって、勉強をせえへんのか、ご両親は、もうどこでもいいから、まず高校に、もう1回勉強してほしいと願っているけど、どうすると言うたら、「考えとく」と言っていましたね。その前に、僕は、実は、おまえ、そんな悟ってるやったら坊さんにならへんか、どうやと言うたら、「それも考えといたる」と言われましたけれども、楽しみに待っているんですけれど、どうなるかな。今はとにかく地元のワルとつるんでいるのが楽しいようです。それも若い時しかできないから、それもええんちゃうかなと勝手に思ってますけれど。

 よく言うのは、こうやって苦しむわけです、いのちをなんぼぐらいというふうに限定してしまって、ある方が、こういうふうに言っておられました。この方は、長いこと介護をしておられていまして、介護苦で認知症の母親の介護で苦しんでおられた方です。

 うちの門徒さんなんですけれども、毎月毎月行っているうちに、僕らも感じるんです、お母さんの病状が、どんどん進んでいくのをね。息子さんが一人、独身なんです、50代で、79歳ぐらいのお母さんの面倒をずっと見ておられました。母子で一軒家に住んでいるなかで、毎月、いろいろおしゃべりをしていたら、やっぱり介護苦ですね。

 「ごえんさんが見えるときはね、母は、しゃきっとするんですよ。普段、ぼろぼろでっせ」、はあ、そうですのん。「弄便はするわ」、弄便ってね、おむつのなかにしてしまったうんこを、壁になすりつけたりとかするんですよ、気持ちが悪いからどないかしたいけど、どうしたらいいか分からへんから、壁になすりつけたりとか、ひどいときは、口に入れるんですって。

 もうそんなことをされたら介護をする側は、「なんで、もう、おしめ換えるやんか」と言って、こういうふうな苦しみを、理不尽ですよね、非効率で非合理的ですよ、「何にも生産的やあらへん、この生活。お金、がりがり減っていくだけで、仕事を辞めないとあかんようになってしもた」で、お客さんが来たら、急に元気になると。

 介護福祉士が来て、介護認定度を上げようとするんですよ。上げようとするんだけど、認定士が来たら、しゃきっとしてしまって、「何でもできます」と言い出すから、ほんなら介護認定2ですね、といわれちゃう。「いや、3か4ぐらいのレベルなんです」、と言っても本人には通じない。「私、ちゃんとできるわ、なんてことを言うの、この子は、もう」というような感じで、憎むように睨んでくる。そんな苦悩の現場の嘆きを私にぶつけてこられるんですわ。

 聞き側、傾聴する。そうですか、そんな苦悩がありますか、そんな苦しみがありますか、そうですか、たまらんね、苦しいねということを聞き続けたら、だんだん深まってくるのね。5回も10回もやっていたら、そのおっちゃんから出てきたのが、びっくりしまして、「何ですか、このエゴイズムは」と言われたんですよ。ほんとびっくりしましたね。

 もう都合のいいときは母なんですよ、母親として機能しているときは母だったと。ご飯を用意してくれて、仕事から帰ってきたらご飯の用意をしてある、お風呂もたいてある、掃除もしてある、洗濯ものも何も言わなくても洗濯してくれている、ワイシャツをぴしっとのりをかけてくれる。「行っといで、無理せんと帰ってきいや。夜遅うなるのか、今日は何時や」、うるさいな、今日は、もう遅くなるから晩飯は要らんよと言っているのに、いちいちそういう邪険にしていた母。

 母親として機能していたときは母でした、都合がいいから。ところが都合が悪くなってきたら、今度は自分が世話をしたらなあかん、お金がかかる、面倒を見なあかん、時間がかかる、ストレスもかかるというふうになってきたら切り捨てたい、どこかへ行ってほしい、いつなったら終わるねん、いつなったら開放されるねん。そんなふうに悩んでしまう、考えてしまう、思わせる、「このエゴイズムは何ですか」というふうに言ってくれたんです。

 もう、たまらんかったから、本当は聞き側に徹するつもりなのに、つい、それね、煩悩と言うんですよ。僕らは、これをね、ずっと2500年前から戦っているんですよ。人類は、この苦しみ、この苦悩、その業苦があるから苦悩する。煩悩に対して無自覚である姿を無明と言います。このことを知らしめんがために、仏教が開闢されたんですよ。「ああ、そうか、だから宗教は必要なんやな」というような感じで言ってくれはりましたね。

 都合が悪かったら切り捨てたいというのは、身内だけではなくて肉体もそうですね。病気になったら、病気の部分だけ取り換えたいよね、そんなふうに思ってしまうけれども、それは本当に都合が悪いのかと言うたら怪しいところです。

 だって、聴力、聞き取る力、聴力何デシベルと言って、それで何デシベルの人には補聴器というふうな感じで与えられますよね。でも、本当は無量寿なんですよ。聞こえようと、聞こえまいと、どれぐらい聞こえているのか、聞こえていないのか関係ないんです、量り知れない尊きいのちだから、阿弥陀さんにとっては、まったく関係あらへん、平等覚に帰命せよです、それでいいよ、心配するな、大丈夫やと言うてはるんです。

 でも僕らは聴力が衰えてくることを、「耳が悪くなった」と言うでしょう、本当は悪くない、自分にとって都合が悪いだけや、自分の肉体ですら、そんなふうに言ってしまうんですね。だって、生まれ持って聴覚障害のある方に、あんた耳悪いな、なんて言わないでしょう? 言えませんよ。あるがままに尊いんですよ。本来。

 こういう聞き側に徹すると言うか、ある程度訓練はしましたけれども、今日、皆さんが私の話聞いて下さっているように、やっておられることと一緒です。だから悩んでおられる方の悩みを聞き側に徹して、ひたすら聞き取っていくということは聞こえてくるんですよ、聴聞と一緒なんです、仏法がはたらいているんです。

 よく考えてみれば、日常生活のあらゆる会話が、全て仏法なんです。聞くというふうになったら、聴聞ですね、「聴聞」と言うでしょう、この漢字、両方とも「聴く」「聞く」って読みますね。こっちの「聴く」は自力的な感じかな、聴きき取ろうとする、そういう聞く姿勢。こっちの「聞く」は聞こえてくる他力的な、そういう感じですね。

 だから仏法で、私という、自我の私と知識のなかに仏法を入れるんではなくて、反対ですね。仏法のなかに私があったな、「アミターユス」のなかに私があったなというふうに捉え直す、そういう「正」の時間を、日常生活のなかで、どれだけ持つか持たないか。

 知恵あるかつての祖先たちは、日常生活のなかで念仏を言っておったのですよ、私のおばあちゃんも、よう言っていました、もうとっくに往生していますけど。こう言っていましたよ。幼いころの僕のために、焼き魚を、みしっているときに、骨を一本一本、自分のお皿に移すんです。「ありがたいことやな、なんまんだぶつ、罪深いことやな、なんまんだぶつ。さあ、ぼん、食べや」言って、そうやってみしってくれていたんです。なんか雑草を抜きながら、「なんまんだぶつ」と言っていましたわ。

 この帰命無量寿如来、帰命無量寿覚する時間を、朝と晩のお勤めだけではなくて、生活が全部、仏法の中に入っていたんですね。人の話を聞きながら、きっとこころのなかで「なんまんだぶ」と言っておったんやろうなと思いますが、ありがたいおばあさんでありました、おかげで、僕こんなんになってしまいましたけれど。聞こえてくるもの、全部如来さんからの呼び掛けですね、この身に降りかかってくる業苦、苦悩を全部阿弥陀さんの如来の呼び掛けでありますね。

 本来のいのちの在り方を忘れて、煩悩に明け暮れて、勝たなあかん、負けたらあかん、強い方がいい、負けたらあかんとか、上や上や、増えていく方、成長していく方、上がっていく方が尊いんやという、そっちへ行け行けみたいになっている私たちに対して、それで結局、つまずいて思いどおりにならないから苦悩する、こういう私たちに対して、阿弥陀さんは見捨てないよ、本願念仏です、諦めへんよと言ってはります。

 その本願の在り方を、『歎異抄』第7章に、「念仏者は、無碍の一道なり」。ほとけさんから願われているものが、「無碍の一道なり」、何ものにも邪魔をされない一本道を歩いているんだよと、どこへ向かう一本道かと言うたら、お浄土です。

 お浄土に向かう一本道を、何ものにも邪魔をされずに、皆、共に歩いているんだよと呼び掛けておいでなんです。「無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には」、如来から信じられている、おまえのいのちは絶対に見捨てへん、諦めへん、量り知れない尊きいのちや、帰ってこい、帰ってこいというふうに、ほとけさんから願われ信じられ続けている私たちは、「信心の行者には、天神・地祗も敬伏し」。

 今日の『御和讃』にもありましたね、天の神さん、地の神さんが、敬い、ひれ伏して、どうぞお通りください、よるひるつねにまもるなりとおっしゃっているんですよ。すなわち天照大神もイエス・キリストもアラーも、ありとあらゆる神々が、南無阿弥陀仏の前座であると。僕が言っているのではないですよ、親鸞聖人が言っておられるんですよ、「天神・地祗も敬伏し」と。

 同じようなことで、清沢満之という先生は、「吾人一般修養の主眼」という部分のなかで、「宗教内の異類派別は皆な真宗の為の方便なり」と、真宗の宗門組織一切の施設は、私一人のためなりと。パンのため、職責のため、国家のためにあるのではない。そういったもののためにあるのではない、宗教は全て本願念仏に帰結して、私一人のためにあるなりということを言っておられるのですね。

 なるほど、そうだなと思います。ありとあらゆる神々が、最終的には、ここに成就していく、帰命無量寿如来に帰っていくんだと、

 「魔界・外道も障碍することなし」と、『歎異抄』では続きます。魔界に外道と言うたら、書いておこうかな。魔界はサンスクリット語で言うたら「マーラ」です。「マーラ」と言うたら、仏道を阻害するはたらき、悟りを開くのを邪魔するはたらき、悪魔の存在、魔の所業。

 外道というのは、仏教以外の姿、仏道以外の姿、私はキリスト教でんねんとか、私は違う宗教やねん、僕は無宗教やねん、「阿弥陀さんなんか知ったことか、そんなもんあれへん」と言って、仏教以外の道を進んでいたとしても、如来の救いの邪魔にならない、「無碍の一道なり」と。

 魔界と外道が障害物にならない、魔界と言うたら仏道を阻害するはたらき、現代風に言うたら、麻薬とか、犯罪とか、ギャンブルとか、賭博とか、そうやって人間らしさを失わせる、怠惰、堕落におとしめるそういう諸行が、その身に現前しても、心配するな、大丈夫や、私が見捨てへん、わが名をとなえよ、必ず極楽浄土に往生すると呼び掛けてはるんですね、阿弥陀さんが。もう一方的に片思いのごとく思い続けられている。こんなことをありがたくちょうだいしたいな、正しくちょうだいしたいなということですね。

 カウンセラーの勉強をしようというふうに思ったきっかけがありまして。

学生時代、「乙部、乙部、こらっ、おまえ、真剣にやれよ、まじめにやれよ、おまえ坊さんやろ、恥ずかしくないんか」と、当時の生活・勉強態度ともにとても堕落していた私に活を入れてくれた友達がいました。そんな励ましができる、頼りがいのある大きい男だったんですが、親が勉強勉強ってとてもうるさくて、受験に専念しろと言って、それまで夢中に頑張っていた運動系のクラブ活動止めさせてしまったんです。空き缶に火くべて、「ユニフォーム焼かれた、オレのレギュラーのユニフォーム焼かれてしもた」って、泣いて電話してきました。「オレが悪いねん、約束どおり、勉強とクラブ両立しなかった」俺は、もうあかん、俺が悪かったと言って、しゅんとしているんですよ、かわいそうでしたね。

 でも、当時の僕は、ガキやったんです、何も分からへんのです、その彼が受けた苦しみ、悲しみがね、分からへんねん。ユニホームなんか再発注したらええやんというその程度、情けないでしょう。

それで僕の母親に言うたんです。お母ちゃん、聞いて、あいつ、親にユニホームを焼かれたんやて、軽い感じで言うたら、母は、「ひええ」言って、びっくりして、「あんだけ一生懸命に練習して、あんだけ走り込んで、それを取り上げるか、信じられへん、かわいそうだ」と言って泣いたんですよ。あんた力になってやりや、というようなことを言われて、何のことやろと思って、学校で久しぶりに会う彼は、別人でしたね。

大変なショックを受けて、失意の最中に、同時にクラブと仲間という居場所を失ってしまった。仲間たちはあんなけ仲良かったのに、手のひら返して、「受験に逃げた、おれらのこと見捨てた」いうてね、憎しみ込めて無視しやんねん。しまいには嫌がらせとかしてきたね。彼はそれ以降ずーっと鬱々としてね、ノイローゼやったね。受け答えもだんだんおかしくなってきて、にたぁって笑って「おれがわるいねん」と引きつった顔するんです、おまえどないしたんや、あのガッツはどうしたんや、ゆうてね、ガキだった僕は励ましていました。

今やったら、今やったらね、言うてやるのに。おまえはうつ病だと。治療と支援が必要だと。学校休めって言うたるのにね、根性あったからね、勉強遅れたらアカンと思っていたのか、根性で学校くるんです。

そうやって、焼かれたのはユニホームやなくて、こころです。こころが焼かれた、すなわち居場所を奪われて、大事なものを取り上げられて、打ち込んできたもの、それ全部無駄やと全否定されて、そんなふうにこころが折れてしまった、こころが焼かれてしまった、ノイローゼ気味のやつが、まともに勉強できるはずがないでしょう、そやから結局2浪して、大学に進学できませんでした。

 その間も付き合っていましたけれども、東京へ、その後、逃げるように就職して、東京から時々大阪へ帰ってくるような具合でした。帰ってくるたびに会っていましたけれども、よくぼやいていたのが、「仕事ができひんねん、また仕事を変えなあかんねん」、そうなん、「上司やお客さん、怒らす気はないねんけどな、怒らしてしまうねん」言って、くよくよ鬱々しているんですよ。うつ病ってね、1回なったら長い人は長いんですよ。彼もずっと引きずっている感じでした。

 当時の僕はどうしたかと言うたら、もっと頑張れと言っていたんですよ。親身にね、そりゃあ親切に相談のっているような態度でね、でもその内容はもっと頑張れ、努力や工夫が足らんのちゃうか? お客さんに対して、こういうふうに接待したらどうやとか、上司の話を聞くときは、メモ帳片手に聞いたらどうやとか言って、こういうアドバイスの仕方、してたんです。

泣いて、「俺、仕事できひんねん」と言っているやつに対して、あろうことか、もっと頑張れ、努力しろ、工夫しろ、こういう方法があるぞというようなアドバイスをしていたんです。彼は「そうか」と言いながら、とぼとぼ東京へ帰っていくんですよ、そのたびに。

それで結局26歳のときに、遺書に「仕事できないやつは価値がない」と書いて自殺しました。その自殺もね、僕は、直接報せを聞いていないんです。

年賀状を出したら、返ってこうへんなと思っていたら、喪中の案内が来て、「ええっ」となって、びっくりして他の友達から、自分で死んだらしいということを聞きました。聞いた友達に、いろいろ話し込んでいたら、その友達が電話越しにこう言うんですよ、「おまえ、あいつの相談に乗っていたんやろ」と。

ものすごい痛かったですね、何をしていたんやろう、僕は。

悔やんだねぇ。こいうところから、人の話を聞く、傾聴をする、その悩みに寄り添う、感情を受容し、感情をそのまま返す、そういうことを真剣に勉強始めました。譲西賢先生の著書に出遇って、法話でもよく言っておられるんだけれど、そうや、これが大事なんやというふうに思わされて、できるだけ聞き側に回ろうというふうにしていたら、なんで、あのときしたらへんかったんやろうと後悔ですわ。なんであのとき言うたらへんかったんやろうと今も後悔するんですね。

いまやったら、理屈や道理で頑張れ工夫しろとアドバイスするんじゃなくて、居場所になれるよう、共感的に、なんぼでも聞いてあげるのに、もう、立場は逆になってしまった。彼の方が先にお浄土へ無量のいのちへ帰ってしまった。

 だからご両親に聞いてみたいね、お葬式に行っていないから、どの宗派か知らないけれども、あなたたちは、自分の息子さんのこと、学歴とか、職種とか、収入とか、そういうことでしか判断できないんですか、そうではない大きないのちとして立ち止まる時間を持っていなかったんですかってね。やつが死んだことによって、その死を、ご両親は、どのように受け止めたかは知りません、知りませんけれども、もう会っていないから知らんけれど、聞いてみたいですね。

 人生のなかに、どれだけ、この立ち止まる時間が大事なのかということを知らされました。そしたら、さっきも言うたとおり、おまえのいのちを諦めへん、決して見捨てへんという阿弥陀さんの願いは、その自殺してしまったやつにはたらかへんのかと言うたら、はたらくでしょう、見捨てるわけがないんですよ、われらが阿弥陀さんが諦めるわけがないんですよ。

 ああ、そんな悪いことをするの、ほなさいなら、地獄へ行きなさいと、絶対に言わないんです、本願と言うんです。そんな病気になったん、認知症にならはったん、それはあかんなとかおっしゃらない。それでいい、心配するな、大丈夫や、わが名をとなえよ、必ず極楽浄土に往生すると言って、向こうの方から呼び掛け続けてくださっているんですな。

 だから、やつも、きっと人生のなかで、南無阿弥陀仏を言うたことはないかもしれへん。ないかもしれへんけれども、「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」と帰って行ったに違いないんです。阿弥陀如来は決して見捨てない諦めない。我が名を称えよ、「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」とね。そうやって摂取されて帰って行ったに違いないんです。

 今では、お浄土から私を教えているんです。「乙部、乙部、こらっ、おまえ、真剣にやれよ」。ありがたいな、ほとけとなって、ずっとこの不甲斐ない僕のことを思っておいでかと、途切れない導きになってくれたんかと。

 お浄土から、今度は、私を押しているんです。「乙部、乙部、こらっ、おまえ、真剣にやれよ」。アア、真剣にやるよ、一座一座の法話を真剣にやるよ、「真面目にやれよ」アア、真面目にやるとも。決して堕落しない、大事な大事なご法事や、月のご命日も、一座一座のご法事も、ご法話も、全部真面目にやる、真剣にやるとも。さあ見ててくれよ、おれ頑張るから。「燃え尽きろよ」。あ、燃え尽きることができるなと、ありがたいことに死ぬまで念仏できますからね、その人の最後の瞬間までね。

 ああ、なんや、南無阿弥陀仏で死に方も定まったんだ、ありがたいことや、死ねるわ、これで。「おまえ、坊さんやろ? はずかしくないんか」というふうに信じられているわけです。ああ、それに応えていったらいいな、ありがたいな、ほとけとなって、ずっとこの私を思っておいでかと、ありがたいなと、僕はお坊さんさせてもらってますから、これまで沢山お葬式をしてきました。沢山ご法事をお勤めさせてもらってきました。その度に、亡き人々からね、還相回向と言うんだけど、導きを感じて、真剣に考えて歩いて行こう、生きていこう、仏教布教のためにこの命使い切ろう。そう思うんやけれども、その時は思うんだけれども、忘れるねん、普段の生活をしていたら。

 ここから自坊へ帰るまで、大阪ですから、どの道を通ろうかなと言って、この間、フクダさんと相談したけど、これですわ、「量」なんぼくらい。すぐこれに戻ってしまう。無駄をしたくない、効率よくいきたい、合理的にいきたい、できれば多い方がいい、少ないのは嫌や、勝たなあかん、負けたらあかん、ちょっとでも損したくない、賢く生きたい。すぐこういう煩悩的な思考に戻ってしまう、日常生活でこれだから、行ったり来たりや、煩悩と自性清浄と行ったり来たりになるね。

 その煩悩側に行きっ放しにさせない、この呼び戻し、「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよと教ふるをききて」、この呼び懸けをちょうだいするのが、亡き人に対する最大の供養であって、そして私たちの歩みですよ。この願いに、南無阿弥陀仏と言って、となえ続けて、バトンをされて、バトンをされて、私たちのところにやってきた、これを受け取るのが、このともしびを守っていくこと、大切やと思いませんか? 何よりも、大切なことなんです。そのバトン、受け取らんかったことにしますか? もうできへんでしょ? ここへ来て聞法している時点で、こころの奥でポッと灯ってる。消されへん、帰命無量寿如来の願いが。もちろん生活をしていて、大半は忘れているけれど、思い出す時間が、反省する時間、立ち止まる時間、すなわち慚愧のある人生とない人生では違うんですよ。

 どちらの方が豊かな人生なのかと言うたら、まあ、ある方ですねということで、自分の生活が、まるっと阿弥陀のいのちにおさまってた、その思い出しのある、南無阿弥陀仏のある生活の方がね。ちょっと時間がオーバーしてしまいました。

 『正信偈』では、「信楽受持甚以難  難中之難無過斯」と出てきます。信を得た喜び、楽しみを、受持、継続することを、「甚以難」、はなはだもって難し、難のなかの難、これに過ぎたるはなしと、親鸞聖人は言っておられる。親鸞聖人自身が忘れますと告白しておられる。そのためにわれわれは、毎朝毎晩の勤行を大切にして、そして次へ次へと歌いつないでいきましょう。

 長々とお付き合い、ありがとうございました。皆さん、お疲れさまでございました。

 

(終了)

※筆者について以外の各エピソードは個人を特定できないように、内容を変更しています。


コメント: 0